この出来事は単なる敗北ではない
勝利とは別次元のドラマ

 デビューから長年の間、高梨の戦績をニュースで知らされ、オリンピックのたびに注目し期待を寄せて来た私たちだが、高梨沙羅という女性の心の底に流れている素直な感情を目の当たりにするのは、これが初めてだったのではないか。少なくとも私は、初めて高梨沙羅という人の心に触れた気がした。

 本質とか人間性とか、そんな言葉にすればちょっと堅苦しすぎる気がする。高梨が何を考え、何に悩み、何を求めて生きてきたのか。その一つは金メダルだろうけれど、金メダルだけでない何かもっと大切な、高梨を支え、駆り立てている魂の素顔が、にじみ出た光景ではなかっただろうか。

 このとき、高梨沙羅をいとおしく、好きになった人はきっと大勢いただろう。

 メダルを逃した選手にこのような言い方が何の慰めにもならないことを承知の上で、あえて伝えたい。「スポーツはアートだ。選手は心や才能の表現者だ」と思う私は、勝利とは別の次元で展開された素晴らしいスポーツのドラマに深い感銘を受けた。その喜びと感謝を語らずにはいられない。

 このような理不尽な出来事を二度と起こしてはならない。ルールの見直し、運用の見直し、対応策を改めて徹底することは関係者、当事者にお願いしつつ、この出来事が単なる敗北や悲劇ではなく、素晴らしい感情の共有を生み出したハイライトの一つだったと、あえて大きな声で叫びたい。

 この出来事はきっと、長く心に残り続けるだろう。

 高梨沙羅、そして佐藤幸椰、伊藤有希、小林陵侑。日本チームの選手たちに、心からの「ありがとう」を贈りたい。

(作家・スポーツライター 小林信也)