社会派ブロガー・ちきりんさんの最新刊『自分の意見で生きていこう』が、発売直後から反響を呼んでいます。特に読者の感想として目立つのが、「承認欲求と意見の関係」を説明する一節についてです。今回より3回に分けて、その該当部分を一部編集し公開します。(この記事は3回シリーズの前篇です。続きはこちら

承認欲求の充足は「自分の意見」から始まる(前篇)Photo: Adobe Stock

「承認欲求」という言葉を、よく聞くようになりました。「自分という人間の存在を認めてほしい」という気持ちを表す言葉ですが、もう少し正確にいうと「他の人とは違う、自分というオリジナルな人格を認めてほしい」ということです。

 承認欲求自体は誰にでもある自然な気持ちですが、実はそれを得るために不可欠なのが「自分の意見をもつこと」だというのは、あまり認識されていません。

 そこでここからは、承認欲求と自分の意見がどのように関係しているのか、考えていきます。

自分はどんな人間?

 みなさんが誰か知り合いについて「あの人はどんな人か?」と問われたら、どのように答えるでしょう?

 ほとんどの場合は性別や年齢、知っていれば職業や肩書きを使って、その人がどのような人か、説明しますよね。

 たとえば、「80代の男性で、昔は大企業に勤めていたけど、もうずっと前に定年退職したらしい」とか「子どもがふたりいる専業主婦みたいよ。40代くらいじゃないかな」「彼女は大学生だよ。まだ20歳くらいじゃない?」といったぐあいです。

 でもこういった説明は、「その人がどんな人か」をどれほど表しているでしょう? 大企業を定年退職した80代の男性も、ふたりの子どもがいる40代の専業主婦も、20歳くらいの女子学生も、何万人も存在しています。

 周りから「20歳くらいの女子学生ってこんな感じなんでしょ? あなたもそうなんですよね?」と言われて素直に肯定できる人、嬉しい人はどれくらいいるでしょう?

 大半の人は「女子学生といってもいろんな人がいて、ひとりひとりまったく違うんですよ!」と反発したくなるのではないでしょうか。

 承認欲求とはまさにそういう気持ちのことです。誰だって「年代と性別だけで十把一絡げにしてほしくない」と思うものです。つまり私たちは「あなたは20代の女性ですよね」とか「40代の会社員の男性ですよね」などと認知されることを求めているわけではありません。

 そうではなく、私たちが承認されたいと求めているのは「他の誰とも異なる個としての自分」なのです。

外形情報と内面情報

 では、「他の誰とも異なる個としての自分」を認めてもらうためにはどうすればよいのでしょう? そのために必要なのは、あなたと他の人を区別するための情報を提供することです。

 そういう情報がなければ、性別や年齢、職業といった情報に頼らざるを得ず、「20代の女性」「40代の男性で会社員」といった認識しかしてもらえません。「他の人と異なる自分」を認めてもらうには、それら外形的な情報を超える、よりパーソナルな情報を提供する必要があるのです。

 では、それはいったいどのような情報なのでしょう?

 個人を識別する情報には大きく分けてふたつのカテゴリーがあります。ひとつは外形的な情報で、見た目に加え、学歴や職歴など、文字として記録できる情報です。

 そしてもうひとつは、性格や人格といった「見た目や資料では判断できない情報」です。ここではそういった情報を「内面情報」と呼ぶことにします。

 内面情報はその定義上、他者に伝えるのが簡単ではありません。見た目なら立っているだけで伝えられるし、資料でわかることなら開示するなり配るなりすればよいので簡単です。

 しかし自分という人間の性格や人格を深く理解してもらおうと思えば、一定期間、同じ家で暮らすなど、それなりの時間がかかります。家族や学生時代の同級生のように、一定期間、生活空間を共有すれば、性格や人格は自然と伝わります。

 しかしこれでは、自分を理解してもらうために多大な時間がかかります。というか、そんな長い時間を共有できる場所は家庭と、あとは学校か職場くらいです。「大人になると友達をつくりにくい」といわれる理由のひとつもこれでしょう。また、「仕事人間」と呼ばれた人たちが、定年後の地域コミュニティで人格さえ認識されない存在になってしまうのも、それまでの共有時間があまりに短すぎるからだと思われます。

 ただし、長い時間を共有する家庭においても「親子である」とか「兄妹である」「夫婦である」といった関係性だけでは、性格や人格を深く理解し合うことは不可能です。「お互いに心を開き、相手を理解しようという意思をもって一定の時間と空間を共有する」という経験を経ないと、「自分を理解してくれる人」は手に入りません。実際、同じ家に住んでいるのに会話する機会が少なく、まったくわかり合えないままになっている親子も存在するはずです。

 このように、自分の内面情報を他者に伝えるのは、とても時間のかかるプロセスであり、だからこそ他者からの承認欲求を満たすのは、簡単なことではないのです。