――当時教えるにあたって難しかったことはどのようなことですか。

 我々がその時対象にしたのは、40歳前の中間層の役人でした。この世代はミャンマーの中でも、一番教育がおろそかになっていた時期に育った世代です。ミャンマーは旧英国植民地だったこともあり、最初はカリキュラムを全部英語で行えると思っていました。ところが、その当時の公務員の英語のレベルは、当時の軍政下で大学の閉鎖等もあったため、相当落ちていました。従って、英語からミャンマー語に通訳したりで結構苦労しました。後に英語がわかる人のみを対象にすることも行いました。

――教える内容で特に力を入れたことは何ですか。

 当時ミャンマーがASEANの議長国としてサミットの会議を開催する話があり、外務省の役人に国際会議をどうやって開くかとか、議事録はどうやって作るのか、共同宣言をどうまとめるか等について、外務省の職員を主な対象として教えました。ご案内の通り、その時はASEANの議長国を後で辞退したので、実際には会議は行われませんでした。

 もう一つ側面支援として、ASEANに加盟する際の支援活動を行いました。ASEANに加盟することは、それに伴う義務と責任が付いて回ります。例えば関税障壁などの対応をしないといけないので、そのサポートを2年間ほど行いました。

――そもそも、そのころのミャンマーにおける公務員の研修制度はどうなっていたのでしょうか。

 その当時も、ミャンマーにも公務員研修所はありました。旧英法に従って、彼ら独自でいろいろな研修をやっていました。ただ、ASEAN加盟となれば、ASEANスタンダードやグローバルスタンダードへ平仄を合わせていく必要がありますが、当時の官僚はそれに対応する能力や知識は持ち合わせていませんでしたね。

――その当時のミャンマーは国際的に孤立していたので、彼らにとって外部の情報を知る貴重な機会だったのではないでしょうか。

 とにかく当時は国外とのアクセスがなかったですね。軍政時代はミャンマーの人はマルチエントリーのパスポートを持っている人はいなかったので、誰でも国外へ出るときはその都度パスポート申請する必要がありました。それから当時は完全な情報統制を敷いていたし、ネットとかの外部情報を知る手段もありませんでした。

 そうした中でマレーシアとか日本に彼らを連れてきたこともあったし、シンガポールでも公務員の研修をしました。それからASEANサミットをやっているときに、外務省の職員をサミット会場に連れて行って勉強するようなことをやってきました。