「われわれの社会は、信じられないほど短い間に組織社会になった。しかも多元的な社会になった。財とサービスの生産から、医療、年金、福祉、教育、科学、環境にいたるまで、主な問題は、個人と家族ではなく、個々の組織の手にゆだねられた。そのうえ、知識を通じて生活の資を稼ぎ、成果をあげて社会に貢献する機会が豊富に存在するのも組織だけとなった」(ドラッカー名著集(13)『マネジメント─課題、責任、実践』[上])
産業革命が人類に膨大な生産力を与えた。そこにブルジョワ資本主義なるイズムが現れ、自由に経済活動を行なわせるならば、見えざる手によって、自由と平等は万人のものになると約束した。
しかし、新たな生産力の果実を手にしたのは、生産手段の所有者だけだった。豊かになった者は、すでに豊かだった者である。
このブルジョワ資本主義が失敗したとき、マルクス社会主義なるもう一つのイズムが現れ、生産手段を働く者の手に渡すならば、万人に自由と平等がもたらされるとした。しかし、そこで生産力の果実を手にしたのは、新たな官僚階級だけであった。
二つのイズムが新たな生産力を生かすことに失敗した後、残された万能の処方はファシズム全体主義という第三のイズムだった。それはそもそも、自由と平等を諦めたイズムだった。
しかし、産業革命がもたらしたものは生産力だけではない。生産手段の大規模化が、組織社会の到来を招いていた。こうして、あらゆる財とサービスが組織によって生産され、あらゆる人間が組織に働くという組織社会が生まれた。
したがって、イズムに代わるものとして、人類にとっての唯一の望みともなったものが組織だった。
こうして、イズムによらない答えを探し続けた若き政治学者ピーター・ドラッカーが見出したものが、マネジメントだった。
20世紀を生きたドラッカーが二一世紀のために遺したものがマネジメントだった。あるいはその礎となるべきものだった。
「マネジメントは、いよいよ大きな成果をあげなければならない。しかも、あらゆる分野で成果をあげなければならない。個々の組織の存続や繁栄よりもはるかに多くのものが、その成果の如何にかかっている」(『マネジメント』[上])