社会派ブロガー・ちきりんさんが、ダイヤモンド社から刊行する「現代を生きぬくための根幹の力」を解説するシリーズは、累計40万部を超えるヒットになっています。
同シリーズと関連するちきりんさんのブログを転載する連載、最終回のテーマは『自分の意見で生きていこう』と同じく「リーダーシップ」です。
※この記事は、2011年9月27日公開の「Chikirinの日記」を転載したものです。(初出:2022年3月30日)

なんで全員にリーダーシップを求めるの?(「Chikirinの日記」より)【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

欧米(特にアメリカ)の入学試験や、外資系企業の面接で常に聞かれるのが、「あなたのリーダーシップ体験について話してください」という質問です。

大学の入試エッセイでも書かされるし、大学や企業の面接では、過去にどんな場面でどうリーダーシップを発揮したか、事細かに聞かれます。

もちろん入社してからも、リーダーシップは主要な評価項目のひとつとなっています。

ところが日本ではリーダーシップについて問われる機会はごく限定的。中には「今まで、一度も問われたことがない」という人さえいます。

なので、その概念自体あまりよく理解されていません。

たとえば私が日本人からよく受ける質問は、「欧米ではなぜ全員にリーダーシップを求めるのか?」というものです。

質問の意図は、「リーダーシップという、組織を率いるごく少数のトップ人材だけが持っていればいいものを、なぜ欧米の大学や企業は全員に求めるのか?」とか、

「10人のチームで10人が強いリーダーシップを発揮したら、チームとしてはうまく動かないのでは?」といったところでしょうか。

これらの質問は日本ではごく常識的なものです。

そして、それにたいする私の答えもシンプルです。

全員にリーダーシップがある組織は、一部の人にだけリーダーシップがある組織より圧倒的に高い成果がでやすいんです。

だから学校も企業も、欧米では(&外資系企業では)全員にリーダーシップを求める。

★★★

例で説明しましょう。

高校の文化祭で各クラスが出し物をすることになりました。まずは何をやるのか話し合います。

最初は誰も意見を言いわず黙りこくっています。

責任者で司会役のAさんは、意見を言ってくれそうな人を指名して、ようやくいくつかアイデアを出してもらいます。

それらを黒板に書き出し、「そろそろまとめに入ろうか」という討議の終盤になって、今度はたくさんの意見が出始めます。

校則問題をとりあげた演劇をやろう、バンドはどうだろう、食べ物屋を出店して売上を寄付するのはどうか、討論会か講演会を主催して有名なゲストを招きたい……云々。

ここで出た多くの意見をどうやってひとつの意見にまとめるべきか、Aさんは考え、それぞれの案のいいところと悪いところをまとめてもう一度討議し、最終的に多数決をとることに決めました。

Aさんは翌週の放課後をすべて使ってそのための資料をまとめ、必要な予算も先生と相談します。

2回目のクラス討議。

Aさんはまとめてきた資料を配り、各案について、全員が参加できるか、必要な設備はあるか、他のクラスとかぶらないか、などのポイントを説明します。

みんなは「ふーん」という感じて聞いています。

ここでもひとりだけ、極めて熱心に「演劇で校則問題を取り上げたい」と主張する生徒がいました。

彼は自説を長々と説明し、ようやく他の案の検討が始まっても、すぐに「校則問題を扱った演劇」に話を戻してしまいます。

それがあまりにウザイので、他の生徒は次第にしらけ始めました。

そのうち、あからさまにAさんをにらみ「お前、なんとかしろよ」という視線を送ってくる生徒も出始めます。さらに何人かは「用事がある」と言って席を立ってしまいました。

Aさんは、延々と話している生徒をなんとか静かにさせ、他の意見をもっていそうな生徒に発言を求めますが誰も積極的に話そうとしません。

するとまた「演劇で校則」の生徒が「ちょっといいですか?」と話し始めてしまいます。

話がいよいよ進まなくなったところで、汗だくのAさんを見ていた先生が介入しました。

先生は他の生徒を次々と指名して、他案について意見を出させてくれました。Aさんは心からほっとします。

その後はなんとか議論が進み始め、多数決で「誰かゲストを呼んで講演会をやろう」ということに決まりました。

時間の大半が使われた「校則問題を扱った演劇の案」の賛成者は数名だけでした。

これ以降は省略します。

後は想像できますよね。誰を呼ぶのかを決めるにも一悶着あるし、依頼の方法も、提示する説明資料もAさんが中心になって考えねばなりません。

人気講師が来てくれることになったらなったで当日の段取りも大変です。

列をどう整理するか、受付はどこに設置するのか。マイクを確認して演台を用意して飲み物も必要だ。誰がどの役を担当する?

当日になって「ごめん、オレ、部活の出し物と重なってた。受付、できなくなったわ」とか言い出す人もいます。

遅れてきたり、いつの間にか持ち場を離れてしまう人も。講師謝礼用に用意していたお菓子が見あたらないというトラブルも発生……

★★★

さて、ある企業で10人がチームを組み、新しいプロジェクトを始めるとします。

この10人全員が、高校生の時にAさんの立場を経験しているのと、ひとりしかAさんの立場を経験しておらず、残りの9人はその他の生徒の立場にあった、というチームでは、どちらがパフォーマンスのいいチームになると思いますか?

10人全員がAさんの経験をしているチームは、「10人全員がリーダーシップ体験のあるチーム」です。

もうひとつは「リーダーシップ体験をもつ一名だけがリーダーとなり、残りの9名はそういう経験のない人達」というチームです。

後者のチームがどうなるか、想像できますよね。

正しいかもしれないけど、物事を前に進めない発言を繰り返し、
本旨に関係のないくだらないことにいつまでもこだわる。

ちょっとでもややこしくなると、あからさまに無関心な態度を示し、
ドタキャンをしたり勝手に役割を離脱したり…、するのは、「自分がリーダーとして苦労したことのない人」ばかりです。

また反対に杓子定規な態度を崩さず、
「完璧でなければ一歩も進みたくない」
「一切の妥協は許したくない」
「明文化されなければ、一切やるべきでないと思う」などと言い出す人もいます。

「組織を動かして成果を出すことがどれほど大変か」、実体験で学んでいない人がチームにいると、恐ろしく非効率なことになるのです。

たかだか20人ほどの忘年会でさえ同じでしょ。

一回でも忘年会の幹事をやれば、店の選び方について後からどうでもいい意見を言ってみたり、参加可否を問うメールを放置して返事をしなかったり、たいした用もないのに遅れてきたり、「オレは酒が飲めないから安くしろ」と言ってみたりすることが、どれくらい慎むべき行為かすぐに理解できます。

リーダーシップ体験のない人って、すぐわかります。彼らはまさに上記のような言動をし、それの何が悪いのかさえ理解していません。

そういう人を見るといつも「ああ、この人は一度もリーダーシップを発揮したことがないんだな」と思います。

人はリーダーシップ体験を積むことにより、「高い成果を出せるチームの構成員」になれるのです。そのために、全員にリーダーシップ体験が必要なんです。

上記の例でAさんは、リーダーとしてはスキル不足だったかもしれません。それでも彼がその経験から得たモノは、彼の「チームメンバーとしてのパフォーマンス」を大きく向上させます。

★★★

欧米の教育機関や外資系企業は「組織が高い成果を達成するためには、各メンバーがチームの中でいかに振る舞うべきか」、体験的に理解している必要があると考えています。

だから「全員に豊富なリーダーシップ体験が必要だ」と言うのです。

しかも、リーダーの立場を何度も経験した人は、結果として高いリーダーシップ(スキル)を身につけています。

リーダーシップというのは、本を読んだり勉強して身につくものではなく、日常生活における様々なリーダー体験を通して学ぶものです。

というか、そういう体験を通してしか身につきません。

大変な思いをしたAさんですが、次に別のイベントの幹事をするときには、前回よりは一歩、上手くできるようになっています。

それを繰り返した回数こそが、その人のリーダーシップのレベルを決めるのです。

だから「豊富なリーダー体験」をもっているかどうかを問えば、リーダーとして高い成果を挙げるスキルを持っているか否かも、きっちり判断できます。

それが目的で欧米の学校、企業、そして外資系の企業や団体は、リーダーシップ体験について、事細かに質問するのです。

ちなみに私は20年近く米系企業で働きましたが、その間に「フォロワーシップ」などという言葉を聞いたことは一度もありません。

欧州企業の日本法人社長を10年以上つとめる某有名経営者の方も「うちも海外オフィス含め、フォロワーシップなんて言葉はまったく使わない」と言われてました。

未だにそんな言葉を使ってるの、日本だけなんじゃないでしょうか。

まっ、だから政治の世界でもビジネスの世界でも、リードするのはいつも欧米企業で、日本企業はいつでも“よきフォロワー”になってるのかもしれませんけど。

そんじゃーね

※リーダーシップに関してさらに学びたい方はこちらの本をぜひどうぞ!