出世だけが人生じゃない。でも、評価されないのも悔しい

 課長、次長、部長、取締役、社長……。順番に、順調に上がっていける、島耕作のような会社員人生を送れる人はそうはいない。その島耕作もとうとう会長、相談役を経て、74歳で社外取締役になってしまった。その新シリーズには「潔く引退すればいいのに」と批判もあるらしい。男ばかりの社内政治と、刺し身のツマみたいなお色気と。男のサラリーマン人生をずっと紡いだ「島耕作」の作品世界は、もうおじいちゃん世代のレガシーなのだ。

 それはともかく、会社員が大量に新卒入社して、大量にバタバタと淘汰(とうた)されていった昭和平成。定年まで一つの会社で勤め上げ、会社での出世が男のヒロイズムだった日本が、経済敗戦で失われた30年の中であっけなく挫折するのを見て育った世代の男女には、上の世代のおかげで「出世だけが人生じゃない」という学びはある。

 分かってる、仕事は人生の要素の一つでしかない。でも「評価されない」のは悔しい。だって、誰もが自分なりに時間や能力といった資源を投入して打ち込んでいるのだから。中には、泥臭いけれど「人生懸けてる」人も大勢いるのだから。

「どうして俺じゃないんだ」

 終身雇用制度の崩壊。会社は一生面倒なんて見てくれない。自分の人生を抱え込んでくれない。だから絵に描いたような出世なんてものには冷めている世代だが、それでも真面目に仕事している分だけ、人事に夢を見る。

 活躍したい、いい仕事をしたい、まだ見ていないものを見てみたい。それは芸人の「売れたい」という切望と同じだ。

「どうして俺じゃないんだ」「なんでアイツなんだ」「アイツより俺の方が絶対にいい仕事してる(面白い)のに……」

 そんな歯ぎしりをしながら、時代の波に必死にしがみついてマイクやカメラの前に立つお笑い芸人の姿に、視聴者は思わず知らず、自分の人生を重ね合わせる。お笑いファンなら今さら言われるまでもないだろうが、野球やサッカーと同じく、お笑いもまた「競技」。一見たわいなく見える笑いの奥には、「人前でバカをやれる」彼ら芸人の賢さがギラギラと光を放ちながら息をひそめている。彼らにたぎるエネルギー、それを覆い隠すように制御されたフィジカルとメンタルに、我々はすっかり観客として胸打たれ、テレビに出演している彼らをつい目で追いかけ、そして自らを重ねるのだ。