日露戦争で日本が勝ったのは英国の力のおかげ?

 ウクライナ紛争そのものから少し離れて、日本の安全保障政策を考えてみたい。注目のひとつが、英国との協力関係の構築である。

 日本は、英国の「不敗神話」と浅からぬ因縁がある。例えば、「大英帝国」が歴史上初めて同盟を結んだのが日本であるが、その日本がロシアと戦った「日露戦争」だ。

 日本を目指したロシアの「バルチック艦隊」が、大西洋から喜望峰を通過し、インド洋を進み休息を取ろうとした港はことごとく大英帝国の支配下にあった。嫌がらせを受け続けたバルチック艦隊は、日本に着いたときには疲労困憊となり、万全の態勢で待ち構えていた日本の連合艦隊の猛攻撃を受け、ほぼ全滅という大敗を喫した。

 また、大英帝国は日本に対して、日露戦争遂行のための膨大な物資調達に必要な多額の資金援助を行った。

 日本は1000万ポンドの外国公債の募集をしたが、まずロンドン市場が500万ポンドを引き受けた。残りの500万ポンドについては、ロンドン滞在中だったユダヤ系銀行家ジェイコブ・シフが支援して、ニューヨークの金融街が引き受けた。

 大英帝国は日本に情報戦での協力も行った。大英帝国の諜報機関が、ロシア軍司令部に入り込み、ロシア軍の動向に関する情報や、旅順要塞の図面などを入手し、日本に提供した。

 日本は、ロシア国内の社会主義指導者、民族独立運動指導者などさまざまな反政府勢力と接触し、ロシアを内側から揺さぶろうとした。ロシア国内では、デモ・ストライキが先鋭化し、それが後に「ロシア革命」につながっていったとする説もある。この日本の工作活動の背後に、大英帝国の諜報機関がいたことは、容易に想像できる。

「大国ロシアと戦う日本を支援する大英帝国」という構図は、ウクライナ紛争と重なる部分がある。その後、第1次・第2次世界大戦などでも、英国が味方した陣営がことごとく勝利した。日英同盟が解消された後に起きた第2次世界大戦では、日本は英国に敗れたのだ。