感染症を治療する「抗生物質」についても、アレクサンダー・フレミングの発見が有名だが、大量生産するための方法を開発したのはほかの研究者の地道な努力であり、当時は第2次世界大戦中で、兵士の死を防ぐために大きなニーズがあったという状況もまた、イノベーションの実現に大きく寄与した。

 そして「薬の安全性」に関しては、かなり衝撃的である。18世紀初め、医療を利用できた貴族のほうが庶民より寿命が短かったのは、当時の医療が百害あって一利なしだったからだ。ところが20世紀に入ってもなお、百害あって一利なしの薬が市場に出回り、大きな薬害を引き起こしていた。薬の効果を証明することが義務づけられていなかったからだ。効果の試験方法が確立され、政府による監視制度が整ってようやく、薬が平均寿命の延びに大きく貢献するようになった。

 そうした医療の進歩がまだ庶民まで到達していなかった19世紀、その平均寿命を初めて延ばしたのは「疫学のデータ革命」だった。ロンドンでコレラが集団発生していたとき、その空間的・時間的分布のデータを集め、分析して、流行を抑制し、発生を最小限にとどめる方法を体系的に考えた先駆者のおかげだ。

 そうした貢献者の働きは地味で、大きな銅像は建てられていないが、伝染病が日常の現実だった時代に、大勢の人びとの命を救った勝利はもっと祝われるべきだ。現在のコロナ禍において、今日は何人が重症化したか、入院患者の増加率はどうか、といった最新の数字が利用できるのも、彼らが構築した枠組みがあってこそなのだ。

 さらに話は人びとが口にするものにおよぶ。まずは「牛乳と水の殺菌」。19世紀半ばのニューヨークで、ウイスキーのかすを餌にして育てた牛の乳に石灰を混ぜた牛乳が売られていたという衝撃的な話に始まり、パス・ツールの開発した低温殺菌法を施した牛乳を庶民に広めた百貨店オーナーまで話題が広がる。飲料水を塩素で殺菌するなど、当初は狂気の沙汰に思われたが、それを大胆に敢行した医師のおかげで、乳児死亡率が大きく下がったという。

 そして「食料生産と栄養」の向上がある。皮肉なことに、第1次世界大戦に備えて爆弾製造量を増やすために開発された人工アンモニアが、化学肥料という新しい概念を生み出し、農業生産を飛躍的に伸ばして、大規模飢饉を撲滅した。1920年代にヒヨコの発注ミスをきっかけに始まったブロイラー養鶏場もまた、生産方式に対する批判はあるものの、人びとの食生活を変え、栄養状態改善にひと役買ったことは確かだ。