恐怖の絶頂にいる日本人、不安の代わりに誰かを叩きたい?

「世界一不安になりやすい民族」である日本人にとって、この2年間はパニックになるほどの不安の連続だっただろう。コロナ禍で毎日、マスコミから死の恐怖を突きつけられた。それがようやく少し落ち着いてきたと思ったら、今度はウクライナ侵攻が始まってしまう。評論家やコメンテーターはこぞって「次は北海道も侵攻されるぞ!」「いや、尖閣も狙われるぞ!」と恐怖をあおっている。

 そんな調子で精神的にかなり追い込まれた時、「世界一不安になりやすい民族」であり、なおかつ「短気な国民」である日本人はどうなってしまうだろうか。これはあくまで筆者の勝手な想像で、科学的根拠もないが、攻撃的になってしまう人もいるのではないか。

 わかりやすいのが、「コロナ差別」だ。コロナ感染拡大した当初、医療従事者やコロナ患者は露骨に差別されて、職員が感染した金融機関が投石されるようなこともあった。コロナへの極度の不安が、コロナ患者に対して過剰に攻撃的な人たちを生んだのである。

 それとまったく同じことが、「ロシア」というものに対しても起きているのではないか。ウクライナ戦争によってもたらされた極度の不安が、在日ロシア人に対して過剰に攻撃的な日本人をつくっているのではないか。

 もし本当に日本人が「世界一不安になりやすい民族」だとすると、中国やロシアと尖閣諸島や北方領土をめぐって新たな緊張関係ができた場合、どんな集団パニックが起きるのか想像するだけでも怖い。

「ロシア人はスパイだ」と叫ぶ人も出てくる。中国への制裁を強化せよとなって、対中ビジネスをしている日本企業も売国奴と叩かれる。もしそこで首都直下型地震や南海トラフなどが重なって、「災害に乗じて不良外国人が」という、いつものデマが流れて暴行事件でも起きれば、本格的な民族対立にもつながっていく。

 なぜこういう事態を心配するのかというと、人権的なこともさることながら、頭に血がのぼって過度に攻撃的になるのは、日本の負けパターンだからだ。

 太平洋戦争もそうだ。真珠湾攻撃は、日本がABCD包囲網で追いつめられたため致し方がなかったということになっている。長期戦では勝ち目ゼロだが、奇襲をかけて短期決戦に持ち込めば勝機があるという軍部の判断もあった。

 しかし、少し見方を変えれば、アメリカの「挑発」にまんまと乗ってしまったとも取れる。中国からの段階的な撤退や、連合国が嫌がるドイツとの同盟をめぐる交渉をすべて放り出して、「日本を侮辱するな」といきなり先制パンチを浴びせてしまった。

「短気ですぐに手が出る」という日本人の性格がモロに出ている。日本としては、あの奇襲は「正義」だが、米国内では80年経過した今も「卑劣なテロ」という扱いで批判の対象だ。そういう意味では、ウィル・スミスのビンタとまったく同じだ。

 カッとなって始めた戦争が、どれだけ悲惨な結末になったのかは説明の必要はないだろう。戦争というのは、感情的になった方が負ける。真顔で平気でうそがつけるような狡猾さも必要だ。だから本来、「世界一不安になりやすくて短気な民族」である日本人はあまり戦争に向いていない。

 これから選挙を控えて、「命をかけて国を守れ」「ゼレンスキー大統領とウクライナ国民を見習え」「中国やロシアに負けるな」などと威勢のいい叫びがたくさん出てくるだろう。

 一緒になって叫べば不安も少なからず解消されるかもしれない。ただ、過去の負けパターンに学べばあまり頭に血が上るのは危ない。熱狂の時こそ少し落ち着くべきだ。中国やロシアに屈しないためにも、まずは「挑発」に乗らない冷静さが必要なのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)