喜ぶな負けたやつにも親はいる

 大相撲の第59代横綱・隆の里がよく口にしていた川柳だ。引退後、鳴戸親方として弟子の指導に当たっていたときのことである。

 親方は弟子が笑顔で花道を引き揚げると怒った。

「勝ってうれしいのは当たり前。感情を表さず、表情を変えないことが力士のダンディズム」

 負けたときも同様で、落胆を見せているうちは一人前とは言えないというのだ。相撲や柔道、剣道などの対人競技では肝要な心得だろう。目の前の相手への敬意という点で、私も同感だ。

 これがチームスポーツとなると趣が異なり、ガッツポーズもまあいいかとも思う。厳しい時間を共にしてきた仲間への喜び。「みんなのおかげだ!」というニュアンスもありそうだからだ。歓喜を共有することで「いい流れ」を呼び込む意図もありそうである。

 小宮山監督は断然の“隆の里派”だ。小宮山はこう語る。

「当たり前のことに、いちいち喜ぶな」

 そもそも、できると判断して送り出している。いかに超絶ファインプレーが飛び出そうとも、監督の想定内なのだ。選手はそれだけの練習を乗り越えて監督やチームメートの信頼を勝ち取り、神宮の舞台に立っている。できて当たり前と涼しい顔をしてプレーを続けるべきだ。それが「早稲田大学野球部の正しい姿」である。

 今年もチームスローガンに掲げている「一球入魂」の精神は、いっときも隙を見せないことにほかならない。もろ手を挙げて喜んでしまっては脇が空き、隙だらけになってしまうのだ。

 法政との2回戦、2‐4で迎えた9回裏のことだ。先頭、代打の3年生がホームランを放った。これで1点差、サヨナラ勝ちも見えてきた。その3年生は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の体でホームベースに帰ってきた。公式戦の初打席がホームランである。

「気持ちは分かるが、喜びすぎ。あれはサヨナラホームランの喜び方。まだ点を取らなければいけない状況なのに」