かつてのオウム青山総本部のビルの前で
かつてのオウム青山総本部のビルの前で、僕はしばらく立ちつくしていた。茫然としていたといってもいい。いまだにオウムの本部ビルが当時のままにあるとは、まったく予想していなかったからだ。
だから考える。3年ほど前にオウムのサティアン群が建設されていた旧上九一色村に行ったときは、何も見つけることができなかった。サティアンどころか残骸もない。ただの草原だった。
地下鉄サリン事件翌年の96年、サティアンはすべて解体された。その翌年には跡地に「富士ガリバー王国」が建造された。アトラクションの目玉は敷地に横たわる身長45メートルのガリバーだ。別に動くわけではない。ただ横たわっているだけ。しかもアクセスは悪い(徒歩圏に駅がない)。集客できるわけがない。結局「富士ガリバー王国」は2001年に閉園した。閉園後の跡地は心霊スポットとなり、2004年には飼い犬を自由に走らせることができるというアミューズメント施設「ザ・ドッグラン」がオープンしたが、これも翌年には閉園し、宿泊施設建設を目論んでその跡地を買い取った不動産会社は、2008年に倒産した。
サティアン群跡地の変遷が示すように、ポストオウムは言い換えれば、オウム的なものを無理矢理に抹消しようとする過程でもあった。何でもいいから消し去りたい。上書きしたい。忘れたい。視界から外したい。
でも日本社会にとって悪夢の記憶ならば、なおのこと絶対に抹消すべきではない。アウシュヴィッツやビルケナウなどホロコーストの現場となった多くの収容所は今も残されていて、大勢の人が記憶を刻むために訪れている。クメール・ルージュが政治犯を拘束して拷問や虐殺をくりかえしたS21収容所も当時のままに残されて、今は国立の虐殺博物館となっている。原爆の直撃を受けた広島県産業奨励館は原爆ドームとなって、核兵器の悲惨さを訴え続けている。
ところがオウムには何もない。見事にない。そもそも重大な証拠物件であるサティアンを裁判が始まる前に壊してしまったことも含めて、事件後の社会はオウムを強引に消すことに躍起になった。麻原彰晃の法廷が一審だけで打ち切られるというあり得ない事態も、多くの人によって当然のこととして支持された。