日産系列最大のサプライヤー
かつての栄光むなしく

 旧カルソニックカンセイの歴史をたどると、1938年創業の日本ラジエーター製造(日ラジ。その後、カルソニックに社名変更)と、56年創業の関東精器(その後カンセイに社名変更)が2000年に対等合併して誕生した。カルソニックはラジエーターから空調システムや熱交換器、コンプレッサーなどを、カンセイは計器メーターなどの部品を手掛ける企業であり、共に日産の有力部品サプライヤーとして成長してきた。

 筆者は、かつて自動車部品を担当していた頃に日ラジを取材したことがある。当時の日産宝会(日産と取引の部品企業群)のリーダー役が、日産の専務から日ラジに転じた太田寿吉社長(当時)だった。太田氏は、石原俊日産元社長と日産の同期入社でもある。

 宝会の加盟部品各社が日産の購買担当を「東銀座様(当時の日産の本社所在地)」とあがめる中で、日ラジは他社に先駆けて米国進出も果たし、米ゼネラル・モーターズとの取引を広げて同社と合弁工場を展開するほどだった。

 その後、業績破綻により日産が仏ルノーの傘下に入る中、2000年にはカルソニックとカンセイの合併統合が行われた。日産がゴーン体制に移行し“系列解体”が進められたが、カルソニックカンセイは重要なサプライヤーとして解体の対象外となり、05年にはむしろ日産が出資比率を引き上げて連結子会社としたことは、先述した通りだ。

 3月1日のADR申請から3カ月、元の親会社の日産からの支援を期待する声もあったが、日産自体が経営再建の過程にあってそれどころではない。KKRはインド財閥で傘下に自動車部品を抱えるサンバルダナ・マザーソン・グループと共同で支援企業とする意向が報じられていたが、マザーソンは条件が合わずに撤退してしまった。結果的に支援企業がKKRだけとなってしまったのだ。