六大学野球の2022年春季リーグ、早大は5位に終わった。だが、就任以来「我慢」を続ける小宮山悟監督はかつて、早大野球部は「見違えるようなチームになる」と予言していた。小宮山が自信をのぞかせる背景には、現役時代の経験があった。早大の反撃は始まるのだろうか。(作家 須藤靖貴)
就任以来「我慢」を続ける小宮山監督
手取り足取り教えるだけが指導ではない
そっ啄同時(そったくどうじ、「そつ」は口へんに卒)なる言葉がある。鳥のヒナが卵の殻を破ろうと鳴く声と、親鳥が外から殻をつついて助ける時が同じ。教育の場ではよく耳にする四字熟語のようで、学ぶ者と教え導く者の息が合い、またとない好機という意味で使われる。孵化(ふか)を見守る親鳥の愛情の深さに頭が下がる。卵はいくつもある。その忍耐、注意深さにも感服するしかない。
スポーツの指導者もそうだ。
上に立つ者は後進の不備がよく見える。「なぜ、できないのだろう」と眉を寄せてしまうのが常。指導者に経験と実績が豊富であればあるほど、そのほころびは手に取るように分かる。不満を胸にためずに指摘することもできるわけだが、「本人の自主性に任せる」というスタンスでじっと構えるには覚悟が要る。なかなか殻を破ろうとする声が聞こえてこないときだってある。
早稲田大野球部の小宮山悟監督も、そんな指導者の一人なのかと思う。
母校の監督に就任して4年目。「我慢、我慢」という言葉を、彼の口から何度となく耳にした。
「自分の野球、早稲田の野球は『根性野球』。一球に魂を込める『一球入魂』。勝負事は、歯を食いしばって頑張った者が勝つ。これが根本。もっと野球をうまくなりたいと思って必死で鍛錬している姿は根性そのもの」
小宮山はそう語る。だが大学の4年間はあっと言う間に過ぎる。懸命に練習したものの、思ったほど上達しなかったというのではつまらない。部員にはそれぞれの個性があり、自分にとって実になる練習をする工夫が要る。早稲田伝統の根性野球に、科学的トレーニングの要素を上積みしなくてはいけない。
それでも、小宮山監督には今の部員たちは無駄なことを繰り返しているようにも見える。
「それで十分に練習したつもりになっている。うまくいかないのなら、やり方を変えてみればいい。何が原因なのか指摘することもできるが、その前にとことん自分で探ってほしい。それでもダメなら、また違うやり方を試せばいい」
指導者が手取り足取り教える弊害もあると小宮山は言う。少年野球ならばいざ知らず、大学生から自主を奪うようなことは芳しくないのだ。
「工夫して試すことが好きだった」
少年期に醸成された性格がメジャーで生きた
自主とは工夫である。