堤清二と上野光平、西友を創業した若き流通革命児たちの新・日本的経営
 米ボストン・コンサルティング・グループ日本支社代表のジェームス・C・アベグレンは、1958年にダイヤモンド社から刊行されベストセラーになった著書『日本の経営』において、「終身雇用」「年功序列」「企業内組合」といった日本企業の特徴を世界に紹介した人物だ。戦後日本の発展はこうした「日本的経営」にあったと喝破し、注目を浴びた。

 今回は、「週刊ダイヤモンド」1969年7月14日号に掲載されたアベグレンによる「シリーズ対談・国際企業への提言」と題された経営者インタビュー記事である。戦後の日本は、海外資本による経済植民地となることを恐れ外資規制を敷いていたが、66年の日米貿易経済合同委員会によって段階的な資本自由化が決まった。69年というのは、まさに本格的な資本自由化に向けて経済界が揺れていた時期だ。

 アベグレンは、産業のあらゆる分野で革新が求められる中、そのけん引役となる若手経営者に多大な興味を抱いており、積極的に新世代の経営者から話を聞いていた。そこでゲストとして呼ばれたのが、西武百貨店社長の堤清二と、西友ストアー常務の上野光平だった。西武流通グループの指導者である堤については本連載でも度々取り上げており、もはや説明不要だろう。上野は、堤に請われて西武百貨店に入社し、米ロサンゼルス出店の責任者を務めていたが、56年にスーパーマーケットの西友ストアーの創業を任された人物だ。

 当初、百貨店業界では、西武百貨店のチェーンストアへの進出を冷笑していたが、69年時点ではセゾングループの中核企業に成長していた。堤と上野は、百貨店のチェーン化、レストランチェーンへの進出などで、さらに立体的な新しい小売りグループの展開を目指していた。アベグレンは、こうした流通革命を担う新進気鋭の経営者への質問を通じて、その考え方やグループ経営における指導性、経営者としての資質などを分析していく。読み応えのある対話である。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

西武グループは
四つの核を持つ連邦制

――まず最初に、アベグレン博士が持っておられる西武グループの印象をお話しいただき、それから話を先に進めたいと思います。

1969年7月14日号1969年7月14日号より。誌面右下がジェームズ・C・アベグレン

アベグレン 西武グループに接するのは今度が初めてですが、いろいろ調べてみると、米国におけるコングロマリットのような印象を受けた。鉄道、観光事業、デパート、生産会社と、事業が非常に多岐にわたっている。経営制度の面でも、コングロマリット的なものがありますか?

 これは、事業の創始者である私の父(故堤康次郎)の考えで自然発生的に今の形になったものです。まず不動産事業というものからスタートして、これの関連から鉄道が出てきた。そして、これから観光業が派生し、さらに鉄道に乗る人のショッピングも考えなければならないということで、地域の要請に応じて、それをビジネスにしてきたものです。だから事業の種類は多いけれど、一つ一つの規模はそれほど大きくない。

アベグレン すると、グループ全体の運営については、別に本社のようなものがあるんですか。

 現在の西武の企業は、鉄道事業のグループ、それから流通のグループ、観光グループ、生産グループの四つに大別されます。そしてそれぞれのグループで核になる企業があり、この四つが協力して連邦制のような形でやっています。