著者の井口耕ニ氏著者の井口耕ニ氏

「ザ・ノース・フェイス」「インスタグラム」そして「アップル」。誰もが聞いたことのある企業について書かれた本の翻訳を数多く手がけている、井口耕二氏。翻訳には雑多な知識と調査が重要だという井口氏は、「down the hall」というフレーズを訳すために、現場のホテルの見取り図まで確認していた。翻訳者としては避けたい「誤訳」を最小限にとどめる工夫について、ベストセラー本翻訳の具体例を交えながら解説する。※本稿は、井口耕二『「スティーブ・ジョブズ」翻訳者の仕事部屋 フリーランスが訳し、働き、食うための実務的アイデア』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。

翻訳仕事に「調べもの」は必須
すぐ忘れるがまた調べればいい

 産業翻訳にせよ出版翻訳にせよ、翻訳の仕事は雑多な知識が求められます。私は、インターネットが登場する前、パソコン通信の世界で運営されていた翻訳フォーラムというところで翻訳の基礎を仲間から学んだのですが、そこでも、翻訳者は勉強を一生続けることになる、翻訳という仕事の半分は調べ物だなどとよく言われていました。

 私には、勉強する際、心に留めていることがあります。「必要になったら勉強する」です。将来必要になるかもしれないと勉強しても、どうせ、使うころにはきれいさっぱり忘れていて勉強し直しになります。必要になったとき、集中的に勉強ができれば十分だと思うのです。

 そのときどきで必要になったことを調べて理解する。覚えようとは特にしない。前にも調べたのに忘れてしまったなどと悔やんだりしない。どうしても必要なことはくり返し出てくるので、さすがにそのうち覚えます。

 でもそんなことでさえ、しばらく使わないでいると忘れてしまいます。いいんです、使わないから忘れたわけで。使わないことを覚えていてもしかたがないでしょう。また使うようになったら、また覚えればいいんです。っていうか、またしょっちゅう使うようになったら、いやでも覚えることになります。

 ですから、何度同じことを調べても気にしません。まだ、覚えられるほどくり返し出てきてはいないというだけのことなのですから。