多様性を訴えておきながら偏見まみれ
「死」に追い込んできた日本社会

 そのあたりの構造でわかりやすいのが、LGBTの自殺率の高さだ。

 先ほど明治から大正にかけての日本ではLGBTの自殺や心中が続発していたことを紹介したが、なぜ当時LGBTの人々は自ら命を絶ったのかというと、肩身が狭かったからだ。

 当時、西洋医学の知識が続々と入ってきたことで「性欲」について語られることが多くなり、「変態性欲」なんて言葉も生まれていた。そこで女学生同士が心中をするというような事件が続発したことで、世の中には「変態性欲に惑わされた若者たちをしっかりと矯正しなくてはいけない」というムードが高まった。前述の医学博士の記事もその一環だ。

 社会の中で、同性愛の男性たちは「異常性欲者」と吊し上げられた。例えば、1923年には旭川第七師団の軍曹が、部下たちに「鶏姦し情欲を遂げていた」(読売新聞1923年8月16日)として軍法会議にかけられている。また、同性愛の女性たちも家族から「真人間になりなさい」と続々と矯正された。強引に縁談を決められて、男性のもとに嫁がされたのである。

 こういう時代背景を考えれば、LGBTの人々の心中や自殺が増えていたのも納得だろう。

 実際、アメリカでは宗教的な理由から、同性愛を矯正する「コンバージョン・セラピー」(転向療法)というものが存在するが、これを受けることによって、受けていない人の2倍の率でうつになり、3倍の率で自殺するという説もある。

 明治から大正にかけての日本は、社会全体で「コンバージョン・セラピー」をおこなっていたようなものだ。だから、この時代のLGBTは心中や自殺をした。ある意味、「死ぬように追い込まれた」と言えなくもない。

 そして、この傾向は今も変わっていない。「これからは多様性が大事」「ひとり1人が自分らしく生きられる社会へ」なんてきれい事を言っている政権与党が裏では「同性愛者は精神障害」なんて冊子を配っている。このことからもわかるように、日本ではいまだに口に出さずとも、心の中でLGBTを「心を病んだ人」と捉えたり、「まったく理解できない人々」と蔑んでいる人が山ほどいるのだ。LGBTの人たちは日常的にそういう悪意にさらされる。だから当然、うつ病や自殺者も多い。 

 明治時代の価値観・ルールに執着し続ける社会によって、100年前と変わることなく未だに多くのLGBTの人々が、「死ぬように追い込まれている」という厳しい現実があるのだ。