1年で幕を閉じた第1次政権
どん底からはい上がって再び頂点へ

 しかし、その加速する改革スピードと合わせるように閣僚のスキャンダルや失言が相次ぎ、07年の参議院選挙で惨敗。持病の悪化も重なり、突如として首相辞任を表明した。政権は発足から約1年で幕を閉じている。

「政権を放りだした宰相」「安倍はもう終わった」。退任後に投げつけられた情け容赦ない言葉に本人が心を痛めていたのは間違いない。だが、自らの病と相談しながら挑んだ12年の自民党総裁選の決選投票で石破茂元幹事長に逆転勝利し、同年末の総選挙で当時の民主党から政権を奪還した。

 自身が自民党総裁として率いた07年の参院選での敗北により、国会は衆参で多数派勢力が異なる「ねじれ」が生じた。その影響で、安倍氏の後継首相となった福田康夫氏に続く、麻生太郎首相時代の09年に野党転落を許すことになった。それだけに、首相再登板時の喜びは格別だっただろう。

 12年末からの第2次安倍内閣はデフレ脱却を掲げ、大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略という「アベノミクス」の3本の矢が象徴的だった。一時1ドル=75円程度にまで進んだ円高を是正し、日経平均株価はうそのように右肩上がりの上昇を見せた。

 円安が急速に進む今、アベノミクスへの賛否はもちろんあるだろう。しかし、政権の重要な役割である雇用環境や企業収益を大きく改善させたのは事実だ。安倍氏と政治信条を異にする人であっても、そうした数々の実績は認めざるを得ない。

昭恵さんが見たトランプ氏との人脈構築術
「仲良くするため努力を相当していた」

 私が注目していたのは、歴代最長の宰相として20年9月に退任した後の振る舞いだった。第1次政権の退任時は政治的な余力を感じさせなかったが、2度目は菅義偉官房長官(当時)を事実上の後継とする形で影響力を残す道を選んだからだ。

 自民党最大派閥を率い、その支援を受けた菅氏は首相となった。現在の首相である岸田文雄氏も安倍氏の声を無視することはできなかった。「令和のキングメーカー」は内政から外交まで強い影響力を持ち、最近でも防衛費増額や核共有政策などの議論をけん引。その存在感は高まるばかりだったといえる。