多くの日本人は気づいていなかったが、2000年以降のアメリカでこの100年起こっていなかった異変が進行していた。発明王・エジソンが興した、決して沈むことがなかったアメリカの魂と言える会社の一社、ゼネラル・エレクトリック(GE)がみるみるその企業価値を失ってしまったのだ。同社が秘密主義であることもあり、その理由はビジネス界の謎であった。ビル・ゲイツも「大きく成功した企業がなぜ失敗するのかが知りたかった」と語っている。その秘密を20数年にわたって追い続けてきたウォール・ストリート・ジャーナルの記者が暴露したのが本書『GE帝国盛衰史 「最強企業」だった組織はどこで間違えたのか』(ダイヤモンド社刊)だ。電機、重工業業界のリーダー企業だったこともあり、常に日本企業のお手本だった巨大企業の内部で何が起きていたのか? 株価が市場から評価が得られていないと感じたとき、CEOであったイメルトは、何を考え、どのように市場と対話したのか?(訳:御立英史)
熱心に語るイメルトの言葉が届かない?
株式市場がGEの真の価値を評価していないことに、イメルトは腹を立てていた。
ボスは株価の日々の変動を気にしていないと言う側近もいたが、彼の行動を見ればそうではないことがわかった。株価は経営者の成績を記録する究極のスコアだった。だが彼は、投資家が心配する会社の業績や成長や透明性に向き合うのではなく、セールストークに熱を込めた。
2006年初めに投資家に送った手紙の中で、「このところ当社の株式は、過去10年間で最低に近いマルチプル〔評価倍率〕で取引されています」と書いている。「しかし、わが社には記録的な業績を上げている素晴らしいチームと、将来の成長が期待できる事業があります」
「株価を決めるのは投資家のみなさまですが、私たちはGEの現在のポジションに自信を持っています。ついに、私たちが大きく飛躍するときがやってきました」
相手に安心感を与えるイメルトの能力には定評があった。落ち着いた自信から、自分がしていることを理解している人物だ、という印象が伝わった。批判や疑問を突きつけられても、鋭いウィットと陳腐ながら説得力のある理屈で、自分の正しさを認めさせた。大きな声で笑い、親しみを込めて相手の背中を叩き、場を明るくしてディールをまとめた。
問題は、そのやり方が投資家には通用しなかったことだ。エンロン、ワールドコム、タイコなど、口達者なリーダーたちに欺された記憶は、そう簡単に消えるものではなかった。投資家たちの洗練された財務モデルには、イメルトの楽観的ビジョンが描くGEの入り込む余地はなかった。株価を上げるには、口先の約束ではなく、実績が必要だった。
それでもイメルトは熱弁をふるい続け、投資家が首をひねるような数字を持ち出すこともあった。
イメルトは、GEは世界のGDP(国内総生産)成長率の2~3倍の率で、オーガニックな成長を持続させる、とぶち上げた。世界銀行によると、2005年の世界のGDP成長率は3.8%だった。GEがこの2倍とか3倍の成長率を維持できるなどという考えは、楽観的を通り越して、現実味がなかった。
ハーバード・ビジネス・レビュー誌は、「GEが標榜しているような成長を達成した企業は存在しない。1500億ドルもの収益基盤を持つ企業なら、なおさらだ」と述べ、成長の道筋も明確に示されていないと指摘した。
イメルトの戦略の説明は、漠然としていてあいまいだった。その一つが、社員にアイデアを提示させて、CEOの自分が承認を与えるという方法だった。イメルトが「プログラム・マネジャー」となり、社員はCEOから与えられたプラットフォームの上で「夢を実現するために働く」というものだ。
「規模は成長を助けます。規模が大きければ大胆に行動して成功をつかめるし、失敗から学ぶこともできます」と株主への手紙に書いている。「わが社では、短期的にも長期的にも、成長をもたらす多くのイマジネーションがブレークスルーの時を待っています」
イメルトは、GEは年間100億ドルを超えるフリーキャッシュフローを生み出すと予測した。しかもそれは、なければ困る類のキャッシュではなく、配当支払後の金額だと説明した。「当社の工業分野の事業は成長のために多額の投資は必要なく、金融サービス事業は本質的に高い自己資本利益率を実現している」とアピールした。さらに250億ドルの自社株買いを約束し、「これからの数年間は、あなたが投資する会社にとって良い年になるはずです」と胸を張った。
イメルトがそう宣言した2006年、S&P500株価指数は15.6%上昇したが、GEの株価は5.2%しか上昇しなかった。