自分に自信が持てる、持てないの根拠は過去の記憶にある

 もし、過去を懐かしむことができなかったら、私たちの人生は、どんなに味気ないものになるだろう。目の前の現実をひたすら生きるだけだとしたら、それはまるで必要な機能を果たすだけのロボットのような生活だ。

 過去の記憶が前向きに整理されていない人は、過去を懐かしむことができないだけでなく、未来を夢見ることもできない。未来予想図とは、過去の実績を元にして思い描かれるものだからだ。

 過去の栄光には、誇らしい気分にさせてくれ、自分に自信を持たせてくれる面がある。自分の過去を自慢げに語る人がいるが、その人にとって過去の記憶は、誇りと自信の源泉になっているのだろう。

 一方で、過去の栄光を投げやりに、自嘲気味に語る人もいる。今の自分の現実が納得のいかないものである場合、「あの頃の自分は生き生きとしていたのに、なぜこんなことになってしまったんだろう」といった感じに落ち込んだりする。

 このように、過去の栄光を誇らしく思ったり、過去を悔やんだりするのも、記憶のお陰である。自分に自信が持てたり、持てなかったりするのも、その根拠は記憶にある。

「良いことなど何もなかった」という人もいる。だが、私が面接を進めていくと、そんなに悪いことずくめの人生ではないことが見えてくる。そうかと思えば、客観的なできごとを並べてみると、かなり恵まれない人生であっても、ゆったりと充足した感じで人生を振り返る人もいる。

 記憶の中の過去は、非常に主観的に色づけられている。考えてみれば、そもそも幸福感も不幸感も、まさに主観的世界のことなのだ。