「損か得か」で選択しながら行動する、「合理的な人間像」が経済学の前提にあります。しかし、現実の経済は、そうした理想的な状態からほど遠いものです。今回は、ビッグモーター事件もあり世間を騒がせた「自動車保険」を題材に、競争市場の条件について考えます。(コラムニスト 坪井賢一)
自動車事故に遭って分かった
ディーラーの修理費は「いいかげん」
突然ですが筆者は最近、自動車事故に遭いました。停車していた自車に斜め後方から追突され、ドアやボンネットが大破したのです。相手の居眠り運転が原因でした。こちらは停車していたので責任は全くなく、相手もそれを認めましたので、相手の損害保険会社の担当者から、修理に要する費用は100%支払う、と連絡がありました。
そこでいつも車検などを依頼している懇意のディーラーに持ち込んで修理を依頼すると、損保から支払われる金額では10万円不足するから支払え、というのです。納得できません。多分、十数%はこちらに非があると言われたら、10万円は疑問を持たずに支払ったでしょう。しかし、こちらの責任はゼロなのです。あれれ、修理費の決定はずいぶんいいかげんだなあ、と気づきました。
相手の損保会社は、査定の結果なので10万円も上乗せして支払えないと主張します。そこで、ディーラーからクルマを引き上げて、近所の修理工場へ持ち込んだところ、「わかりました。修理代はその保険金で十分ですが」と、あっさり引き受けました。
ああ、これは「レモンの原理」(Lemon’s principle)に近いなあ、と思いました。