三田紀房の投資マンガ『インベスターZ』を題材に、経済コラムニストで元日経新聞編集委員の高井宏章が経済の仕組みをイチから解説する連載コラム「インベスターZで学ぶ経済教室」。第122回は「幸せ」と「お金」の関係を考える。
直系親族で最初の大卒
大富豪の塚原為之介は、藤田家の御曹司・慎司が早々に席を立ったのは自分を嫌っているからだろうと見抜く。藤田家当主の祖父は慎司の性格について「人を選ぶところがあの子の欠点だ」と嘆き、「あれでは将来自分の世界を狭めてしまう」と危惧する。
作中で塚原は慎司の心情を「良家のご子息にはよくあること」と指摘する。「世間が狭いこと」の大きな弊害は、想像力に欠ける人間になってしまう恐れが強まることだ。それは長い目で見てレジリエンスを損なう懸念があると私は考える。レジリエンスは日本語に訳しにくい言葉だが、ここでは「しなやかに生き抜く力」とでもしておこう。
noteの「『日本のヒルビリー』だった私」という文章で書いたように、私はそれなりに貧しい家庭で育った。
亡父の経営していた零細企業が倒産して借金を抱え、一時は給食代にも事欠くような有様だった。中学時代にはアウトロー的な方面へ大きく脱線しかけたこともあった。小中学校時代のクラスメートはお金持ちから我が家以上の極貧家庭までふり幅が大きかった。
家業の看板屋の手伝いで出会う人々は海千山千のオヤジどもから一本気な職人さんまで、これまた多種多様。働く「現場」もゼネコンの大規模案件から水商売やサラ金の店舗、パチンコ屋までバラエティーに富んでいた。
高校を出たら就職するつもりでいたのだが、友人のアドバイスをきっかけに大学進学を目指すことになった。ちなみに父は中卒、母は高卒で、ふたりの兄は工業高校を出て就職しているので、私は直系親族で最初の大卒だ。
超富裕層にも取材したが…
愛知県立の某進学校から名古屋大学へと進むなかで「自分とは育った環境がまるで違うな」と感じる友人・知人が増えていった。大学卒業後は新聞記者として、まさにベスト・アンド・ブライテストと言うべき超富裕層やエリートに取材する機会も多かった。
そんなコースをたどった結果、私は社会階層のかなり下層から最上層までを垣間見る機会を得た。それは自分の人格形成や仕事に良い影響を与えていると思う。
一番の財産は「人間の幸不幸と社会階層の高低は必ずしもリンクしない」と実感を持って知っていることだ。無理に「上」を目指しても幸せが約束されるわけではないし、多少「下」に落ちたところで大したことではない。そんなことで人生の幸福度は決まらない。
視野が狭くなると、この当たり前の事実を忘れがちだ。人は年齢を重ねるほど偏差値や仕事、所得階層とリンクする居住地といったフィルターを通じて交友関係が限定されていき、「外の世界」に思いが及びにくくなる。
それは社会を見るレンズをゆがめる危うさをはらむ。そして、自分の所属する階層から脱落することを恐れ、それが現実になったとき、過度に人生を悲観してしまうことになりかねない。
ひとりの人間が日常でふれる「世間」は、社会のほんの一部でしかない。それを自覚して、普段から自分の世界と視野を広げる意識を持つ。それだけでも、レジリエンス=しなやかに生き抜く力は底上げできる。「人生、何とかなる」と思えるしぶとさを支えるのは、経験とそれに基づく想像力なのだろうと私は考える。