映画やビデオを倍速などで見る
「飛ばし視聴」が増えている

 具体的に言うと、前述の本のタイトルのように映画やビデオを倍速で観る、あるいは10秒ずつ飛ばしながら観るという視聴のやり方である。昨今ではこういう飛ばし視聴をする人が増えてきており、特に20代においては約半分の人が倍速で視聴しているという。

 実際にこの「飛ばし視聴」については賛否両論で、ネット上においても「理解できる派」と「好ましくない派」に分かれて議論が交わされている。

 肯定派は、「時間がもったいないのでどうでもいいところは飛ばして、結論だけ先に見たい」とか、「どのように観ようが視聴者の勝手だ」という意見が多い。これに対して否定派は、「芸術とはそういうものではない」、あるいは「間合いは演出家が計算し尽くして出しているものなのに、それを無視するのは作った人に対する冒涜(ぼうとく)である」と主張する。

 正直言って、この両派の主張は論点が違うのであまりかみ合わない気がする。ただ、私からすると少なくとも飛ばしながら観るというのは、わからないことはないものの、あまり視聴を楽しめないのではないかという気がするのだ。

 これが本であれば飛ばし読みをするというのは理解できる。そもそも本を読むという行為はその内容を理解するために読むスピードをコントロールする。簡単なところや面白い部分は読むスピードがどんどん速くなる一方で、難しい内容になってくると途端に読むスピードは落ちる。

 これは「認知のコントロール」といって本を読む時に自分でできるものである。だから人によってそのスピードが変わっても当然だ。

 これに対して演劇、映画、講演、ドラマといったものは演ずる方が認知のコントロールの役割を担う。つまり伝える側が様々な工夫をほどこして、聴衆に理解してもらう、あるいは楽しんでもらうようにするわけだ。

 ところがそんな性質を持つメディアである映画やドラマも、サブスクリプションの台頭で家にいながら手軽に視聴できるようになった。これによって、飛ばし視聴のように観る側で「認知のコントロール」をしたいというニーズが出てきているのだ。

 では、一体どうしてそんなニーズが出てきているのだろう。