政治家は叩かれ、容疑者は同情されるという構図

 現時点で犯行は思想信条によるものではないとされるが、旧統一教会に対する憎悪を社会に喚起するために関係の深い安倍元首相を殺したというなら「テロ」と言えなくもない。事件が引き起こした恐怖と衝撃で世論がガラリと変わって、自民党や政府も何十年も続けてきた教団との関係を見直さざるをえなくなった。誤解を恐れずに言ってしまうと、山上容疑者は「この国の不条理を変えるには、実は暴力が最も効果がある」と身をもって証明したのだ。

 そんな「テロリスト」がこの国では「一人勝ち」となっている。冷静に考えると、民主主義国家としてこれはかなりヤバい事態ではないか。

 テロの標的にされた政治家たちはボロカスに叩かれているのに、テロを起こした張本人は、家庭環境が不幸ということで「気の毒に」と同情され、多くのマスコミも「そこまで追いつめられるのもわからんでもない」と心情に理解が示されている。そんな社会はもはや「テロに屈している」と言ってもいい。

 もちろん、「私は山上容疑者がやったことは絶対に許さないし、同情もしない」と主張される人も多いだろう。しかし、個々の感情はさておき、今の日本社会の状況を客観的に見れば、山上容疑者だけが「一人勝ち」している事実は否定できないだろう。

 まず今回の問題で、日本政府と警察のメンツが丸つぶれになったことは説明の必要もない。元首相が背中から、至近距離で2回撃たれるというのは「平和ボケ」の謗りを受けてもしょうがない大失態だ。

 また、取り繕うように「国葬」をぶちまけたことも事態をさらに悪化している。旧統一教会を「反社会的」と断罪しながら、そこと最も親密なイメージのある安倍元首相を「国家の英雄」に持ち上げるという矛盾は、多くの国民をシラけさせてしまっているのだ。

 一方、自民党も大ダメージだ。岸信介元首相の時代からの旧統一教会とのズブズブの関係が明らかになったことを受けて、戦後政治の実績や、保守政党としての主張にも懐疑的な目を向けられている。アンケートで全議員に旧統一教会との関係を「点検」させたことも逆効果だった。

 さらに、マスコミも同様で、紀藤正樹弁護士や鈴木エイト氏のように旧統一教会問題に地道に取り組んできた人々に注目が集まるほど、「で、これまでマスコミは何をしていたの?」と白い目で見られている。つまり、1990年代に芸能人の合同結婚式でお祭り騒ぎをした以降、この問題をスルーし続けて、むしろ、一部メディアなど教団の関連団体を好意的に扱うなどの「良好な関係」があったことが徐々にバレてしまっているのだ。

 そんな感じで、深く追及すればするほど政治やマスコミのイメージダウンが進行していく旧統一教会問題の中で、唯一イメージが爆上りしているのが山上容疑者だ。