利回りや評価額で決める時代から
人生における必要性で決める時代へ

「空き家問題」が喧(かまびす)しい一方、優良不動産は取り合いの状態である。そんなレッドオーシャンの世界に分け入って、あまつさえ収益を上げようとするのは至難の業である。不動産投資ほど人口減少の日本にあって、極めてリスクの高い投資行動はないのではないか。

 これからの不動産購入は、利回りなどという「収益」を諦め、真に生活や人生の益に供する物件を、廉価で購入することにこそ神髄があると思う。そもそも私たちにとって不動産とは何か。それは「衣食住」の三大要素をなす「住」としての生活の基盤であり、市場評価額では計測できない人生の根幹であるはずだ。

 自宅以外の不動産購入は収益を主目的とするのではなく、損得に関係のない人生の一部に組み込まれるべきだ。そしてその人生の中で不用品が堆積していき、副次的に倉庫が必要となったとき、それを収納できる外部倉庫が必要である。それこそが私の勧める郊外の市街化調整区域だ。

 不動産の価値を利回りや評価額で決める時代は終わったのだ。人生に必要だと感じた不動産を、廉価で手に入れて終生大事にしていけば良い。価値が上がるとか収益がどうのとかを考えてはいけない。市街化調整区域は買ったが最後、第三者への売却は不可能だと考えるべきだが、それを上回る魅力がある。

 さて冒頭のソロキャンの話題に戻るが、たった30坪の土地でもキャンプはできるのである。私が所有する茨城県の30坪の土地は、「光害」が及ばない農村地帯にあるので、夜空には星々が満ちている。

 ベガ・デネブ・アルタイルを筆頭とする夏の大三角形、冬にはオリオン座が明瞭に見え、地球から660光年離れた超巨星ベテルギウスが赤々とその巨体を燃やしている。室町時代に放たれたはるかなる光を我々は見ているのだ。

 こんな光景は東京都内では見ることができない。そんな満天の星の下で、車のエンジンを吹かし深夜ラジオを聴きながら、メビウスに火をつけ一服する。――プライスレス。これが本当のソロキャンではないだろうか?

(作家/令和政治社会問題研究所理事長/日本ペンクラブ正会員 古谷経衡)