この数年間、電気自動車やハイブリッド車に関する記事や報道に触れるたびに、表面的なことしか言っていない、発信元の情報をそのまま流しているだけじゃないか等々、かなりフラストレーションを感じていた。「これからは電気自動車になるに決まっている」と断言する人もいたが、私は常々、電気を生み出す『発電』というものの将来像を議論せぬまま、電気自動車を語ることには疑問を感じていた。

 だからこそ私は、ステレオタイプの考え方や常識にとらわれることなく、社会やお客様のためになる技術を創ることこそが、技術者の役目だと考えてきた。その結果、走る歓びとグローバルなCO2削減に貢献する環境性能をお届けするためには、内燃機関の効率を極めることが最も合理的な戦略であるとの結論に至ったのだ。

 また現在、自動車の世界では、欧州車が世界をリードしており、評価もすこぶる高い。だから、欧州のやることがすべて正しいととられる傾向にある。これもまたフラストレーションの要因だ。欧州が目指す技術と同じ技術を磨いていないだけで、「このままでは日本は後れを取ってしまう」などと言われると、すぐに飛んで行って、こんこんと説明したくなる。玉石混交も甚だしいからだ。

 燃費のよさだけを求めて高いクルマを買っている人には、「燃費で元は取れないですよ」と横で電卓を叩いて見せたくなる。

 人間や企業の行動は、世間の評判や周囲の評価に大きく左右される。また、国の政策などはいかなるものであっても受け入れる以外の選択肢はない。これらが一貫して同じ方向を向いていれば、そしてそれが正しい方向に向いているなら、人も企業も素晴らしいパフォーマンスを発揮するだろう。政策や広い意味での評価者が行く先を決めると言っても過言ではない。だから、そういう立場の人はそれなりの自覚と責任を持って発言してほしい。個人で意見を発するのは自由だが、公の場に出れば公人であり、政治力を発揮していることを忘れないでほしいと願っている。

 ということで、これらに対するささやかな警鐘という意味も公然と持ちながら、SKYACTIV開発に至った背景、技術に対する考え方、仕事の取り組みに対する考え方など、マツダという、自動車会社としては小さな会社でこそ得られたものを綴ってみた。