メンターとは、人生全般について有益な助言を与えてくれる頼もしい存在だ。しかし一歩間違えば、お節介な「老害」となってしまう可能性を秘めている。あなたは老害になっていないだろうか?若手に本当に必要とされるメンター像について説く。※本稿は、前田康二郎『メンターになる人、老害になる人。』(クロスメディア・パブリッシング)の一部を抜粋・編集したものです。
コミュニケーションにおいて
取り扱いが難しい「お節介」
「お節介」というのはコミュニケーションの中でも最も取り扱いが難しいものの1つであると私は考えています。なぜなら、当事者が「お節介は結構です」と断った場合でも、無理やりお節介をすることで事態が好転して、その本人にも良い結果をもたらすことがあるからです。
たとえば、老々介護で困っている近所のご家族を見かけて「周囲の助けを借りたほうがいい」と声をかけたら「迷惑をかけたくないから放っておいてください」と拒絶されたとします。それでも、お節介で役所などに手配をして、結果的にその家族が助かるというケースもあります。
だから「お節介はしないよりしたほうが良い」と考える方も多いですし、メンターになるような方は実際に「自称お節介」な方が多いと思います。
ただ、次のようなケースはどうでしょうか。
ある会社の若手社員が、自分の企画書を企画会議に提出しようとしていました。するとその上司が、その内容を見て「ちょっと手直しをしたほうが絶対に企画が通るから、企画を少し手直ししてあげるよ」と言いました。しかし若手社員は「企画が通らなくても後悔しませんので、自分の企画のまま出してみたいです」と、その申し出を断ったそうです。そして結果的にその企画は通りませんでした。