心理学の専門家によると、失敗には負の側面と正の側面があるという。すなわち、前者はやる気や意欲を失わせ、最悪メンタルヘルスに累を及ぼす。後者は、これを糧にして当人や当該組織の成長、さらにはイノベーションのシーズとなる可能性がある。したがって、マイナス面を最小限に抑え、プラス面を最大限に引き出すことが命題になるという。

 まったくその通りだが、失敗の積極的活用は、概して被害の小さいものに限られる。記者会見を開いて経営陣が謝罪するような失敗はもちろん、笑って済まされないレベルであれば、何らかのペナルティは必定であり、多くの場合、傍流への片道切符が待っている。幸い無罪放免になったとしても、忘れた頃に前科として先祖返りすることもある。

 当然ながら、組織人は失敗を恐れ、失敗を隠す。しかし、新しいことに挑戦すれば、必ずリスクが伴う。そこで、フィージビリティスタディやPoC(概念実証)、出島をつくる、小さく始めるなど、失敗の確率を下げる努力が行われる。最近では、心理的安全性やセキュアベース(安心の基盤)といったことが予防線として唱えられる。いずれも必要であり、それなりの効果はある。

 けっして失敗を奨励しているわけではないが、かつて、ゼネラル・エレクトリック(GE)の伝説的CEO、ジャック・ウェルチは大失敗をしでかした社員を表彰したことがある。その理由は、いわく「この失敗によって、我々はまた一つ賢くなった」。実際、失敗は必然であり、失敗を許容すること、失敗からの学習を奨励することもリーダーの大切な仕事の一つであるともいわれる。そこで今回、失敗学の提唱者、畑村洋太郎氏にお出ましいただいた。

 失敗学の始まりの書、『失敗学のすすめ』(講談社)が出版されたのは2000年、いまから20余年も前のことである。そこには、失敗とは何かに始まり、その種類、失敗の知識化と共有化の必要性、失敗に学ぶことの効用など、まさに失敗学の名の通り、体系的にまとめられている。畑村氏はその後、視点や読者対象を変えながら、失敗に関する著作を多数世に送り出してきた。そして、この2022年、失敗学2・0ともいえる『新 失敗学』(講談社)を上梓した。この作品では、総じて「仮説と実行と検証」の重要性が説かれている。

 畑村氏によれば、このプロセスは「3現主義」──いわゆる現場・現物・現実ではなく「現地・現物・現人」──から始まるという。つまり、失敗の現場に赴き、現物を見たり触れたり、現場の人たちの話を聞いたり議論したりしたうえできちんとした知識と情報を仕入れ、それを咀嚼・理解してから仮説を構築し、実行・検証するのである。

 当たり前に聞こえるが、失敗学の権威は、福島第一原子力発電所の事故しかり、みずほ銀行のたび重なるシステム障害しかり、こうした生真面目なプロセスを怠っていたからであり、他の失敗にも共通するものだと指摘する。幸之助翁はこんな言葉を残している。
「失敗することを恐れるよりも、真剣でないことを恐れたい」

よい仮説づくりは
「3現主義」から始まる

編集部(以下青文字):失敗に関する書籍を40作以上出されていますが、2022年5月に『新 失敗学』を上梓されました。本書はこれまでとは少々趣が異なり、とりわけ「仮説づくり」の重要性を強く説かれています。

失敗学2.0失敗こそ価値創造の源泉東京大学 名誉教授
畑村洋太郎
YOTARO HATAMURA
東京大学工学部機械工学科卒業、同大学院機械工学科修士課程修了後、日立製作所入社。1968年に東京大学工学部助手に転じ、1983年に同大学教授。2001年に定年退官後、工学院大学グローバルエンジニア学部機械創造工学科教授を経て、畑村創造工学研究所を開設。科学技術振興機構(JST)失敗知識データベース整備事業統括、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)委員長、消費者庁消費者安全調査委員会委員長などを歴任。2021年、瑞宝中綬章を受章。主な著作に『失敗学のすすめ』(講談社、2000年|のち講談社文庫)、『失敗の哲学』(日本実業出版社、2001年)、『失敗学の法則 決定版』(文藝春秋、2002年|のち文春文庫)、『失敗を生かす仕事術』(講談社現代新書、2002年)、『創造学のすすめ』(講談社、2003年)、『強い会社をつくる失敗学』(日本実業出版社、2003年|のち『起業と倒産の失敗学』文春文庫)、『決定学の法則』(文藝春秋、2004年|のち文春文庫)、『危険学のすすめ ドアプロジェクトに学ぶ』(講談社、2006年)、『「失敗学」事件簿 あの失敗から何を学ぶか』(小学館、2006年|のち小学館文庫)、『失敗学実践講義 だから失敗は繰り返される』(講談社、2006年|のち講談社文庫)、『図解雑学 失敗学』(ナツメ社、2006年)、『ドアプロジェクトに学ぶ 検証回転ドア事故』(日刊工業新聞社、2006年)、『だから失敗は起こる』(日本放送出版協会、2007年)、『回復力 失敗からの復活』(講談社現代新書、2009年)、『未曾有と想定外 東日本大震災に学ぶ』(講談社現代新書、2011年)、『「想定外」を想定せよ! 失敗学からの提言』(NHK出版、2011年)、『技術大国幻想の終わり』(講談社現代新書、2015年)、『3現で学んだ危険学』(畑村創造工学研究所、2020年)、『新 失敗学』(講談社、2022年)などがある。共著も多数。

畑村(以下略):一般に仮説といわれているものは、必ずしも質の高いものではありません。その証拠に、失敗に学べず、同じ失敗を繰り返しているのは、すべての起点となる仮説が不完全だったからにほかなりません。

 これまで、いろいろな失敗や事故を調査してきましたが、知識や情報が適当でない、十分でない、真意を理解できていないなど、中途半端なままで、たとえばプロジェクトを起案したり、新規事業にゴーサインを出したりしたことが失敗の元凶になっている、そういうケースが数多くありました。福島第一原発の事故が典型です。知識や情報はなくてはならないものですが、これらが中途半端であることほど怖いものはありません。こうしたおざなりな知識に基づいて仮説をつくっていれば、失敗が待っているのは当然です。

 大きなトラブルを起こしてしまった時、謝罪会見が開かれ、「再発防止に努める」と発表します。その後、再発防止策を作成し、そのための手順を文書化し、従業員に周知徹底します。従業員も真面目に遵守しようとします。しかし残念ながら、それで問題が根本的に解決されることは少ないでしょう。

 2006年に始まるみずほ銀行のシステム障害を思い出してください。その後もトラブルが続出し、5度目のトラブルを受けて開かれた2021年8月20日の謝罪会見において、みずほフィナンシャルグループの坂井辰史執行役社長(当時)が「短期間に5回(の障害)ということで、今回の事象も極めて重く受け止めている。6月15日に発表した再発防止策に則って鋭意改善を進めてきているが、より強固な再発防止策にしていく必要があると考えている」と述べました。そしてその直後の23日には6回目、9月にはさらに2回トラブルが続きました。何をかいわんやです。

 現代はVUCAの時代、「正解のない時代」といわれます。ただし、正解がないというのは適切な表現ではありません。唯一最善解はなく、実は「正解がたくさんある」時代と言うべきです。では、正解を見極められない場合、どう対処すればよいのか。それは、自分の頭で考えて行動し、試行錯誤しながら、自分なりの正解を形づくっていくしかありません。このプロセスこそ「仮説・実行・検証」です。それは、失敗を繰り返しながら学ぶことでもあります。

 私が提唱してきた失敗学は、人間が活動すると失敗は必ず起こる、このことをポジティブにとらえ、原因を究明することで、次の行動に活かすことを主眼にしています。皆さんもわかっているはずですが、未知なること、初めてのことに取り組むと、たいてい失敗するものです。そこで仮説・実行・検証を繰り返す。その中で、足りないもの、過剰なもの、思い違いをしていたものなど、いろいろなことが見えてくるはずです。またこの時、「枠の外にあふれるものが必ずある」ことに気づくことも重要です。

 にもかかわらず、世の中は失敗を忌避したり、隠したりする傾向にあります。翻せば、できるだけ失敗を少なくして、効率よく成功することが志向されているのです。それはパターン認識による効率性重視の優等生を選抜する現代の教育のあり方、そうした優等生が組織の幹部になっていく文化にもつながっています。ですが、効率的に学んで獲得できる知恵や技術は、広くて浅いものになりがちです。これからの時代、こうした効率重視の人材に頼っていては社会も組織も停滞していく一方です。失敗を恐れるのは新たな価値を創造する種、人を成長させる種を捨てる行為だからです。反対に、自分の頭の中で、ああでもない、こうでもないと試行錯誤しながら、独自の思考回路をつくり出すこと、これがよい仮説を立てるための下地となります。