ネットや書店には「伝え方」のスキルが爆発してます。飽和状態です。「相手を言い負かす技術」もあります。「なんとか言いくるめて無理やり納得させるテクニック」もあります。「人の心理を思い通りに操る方法」もあります。ありすぎだろう。ありすぎるのに増える一方なのは、あらゆる技術を駆使しても失敗する人が多いからでしょう。『ぼくらは嘘でつながっている。』という本を書いた作家の浅生鴨氏は、そもそも人と人が心の底からわかりあうことはできないと言います。では、人と人は何でつながりうるか。それは「嘘」。意志を持ってつく嘘が、その人の「世界の見方」を決めている。どういうことか。2分くらいで読めるのでどうぞ。(構成・撮影/編集部・今野良介)

「あいつ、どうせ金次第で言うこと変わるんだろ」

僕たちは、生まれた時間も場所も育った環境も違っているし、持ち合わせている能力や遺伝子、感覚器だってそれぞれ違っている。

背の高い人と低い人とでは見えている視界が異なるし、運動が得意な人とそうでない人では肉体の捉え方が違っているだろう。

今ここに千人の人がいれば、中には多少は似ている人がいたとしても、基本的には千人すべての顔が違っている。まったく同じ顔の人などどこにもいないし、それを僕たちは奇妙だとも思わない。むしろ、まったく同じ顔をした人が五、六人もいたら、かなり驚くだろう。

人の顔がみんな違っているのと同じように、僕たちは誰もが違う考え方を持っている。異なるやり方、異なる感じ方で世界を受け取っている。現実世界で起こったできごとは、それぞれの真実として理解され、体験として記憶の中にしまわれていく。持っている体験や記憶が違うのだから、一人一人の考え方が違ってくるのはあたりまえなのだ。

「伝え方」を変えても、相手の考え方は変わらない。三つ星レストランの料理を「まずい」と感じる人もいる。あたりまえだ。

それなのに僕たちはなぜか、自分の考えを伝えれば、相手も同じように考えるだろうと思っている

相手が自分と同じ考え方をしないのは、相手が間違っているか、自分の伝え方が悪いのだと思い込んでいる。

僕たちはそれぞれが別の世界に生きる存在だ。互いの顔が同じではないとわかっているのに、どうして考え方は同じになると思うのだろうか。

顔であれば違っているとすぐにわかるのだけれども、さすがに他人の頭の中へ入り込んで考え方や感情を体験することはできないから、違っていることに気づけない。だから、他人も自分と同じように世界を認識しているものだと勘違いをしてしまうのだ。

政治家や著名人の発言を聞いて、熱狂的に支持する人もいれば、なるほどと賛同する人もいる。その発言に真っ向から反対する人もいれば、どちらでも構わないよと軽く肩をすくめる人もいる。

同じものを見聞きしても僕たちは同じ反応をしない。反応の理由は外部ではなく僕たちの内部にあるからだ。僕たちの持つ世界がそれぞれ違っているからだ。それでいいのだ。いやそうでないと困るのだ。

誰もが同じ顔で、同じ考え方をしている現実世界になったらゾッとするに違いありません。

「あの人はきっとお金をもらってああいう発言しているんだ」

「あいつはきっと俺たちを出し抜こうとしているに違いない」

「あの会社は儲けるために客を騙している悪い会社だ」

日々暮らしていると、たまにはそんなふうに何かを悪く考えたり、疑心暗鬼が生じたりすることがあります。もちろんそれが正しいこともあるでしょう。

ですが、疑心暗鬼の多くは、自分がそのように世界を見ているから起きるのです。全員が同じ考えで生きているわけではないのに、なぜか僕たちは他人も自分と同じ考え方をするのだと思い込み、疑うことをしないのであります。

「あいつは金をもらって発言を変えているに違いない」と考えるのは、その人が世界を「金をもらって発言を変える」ものだと捉えているからなのである。

知らないうちに自分がそうした嘘の世界に閉ざされているとき、それを打破できるのは、自分自身で意志を持ってつく嘘だけである。

無意識の嘘に勝てるのは意識的な嘘だけなのだ。

嘘とは何か? と聞かれたとき、僕はそれを道具だと答えます。

おそらく僕にとっての嘘は、現実を心地よいものに改竄するための道具なのです。理不尽な現実世界を僕なりに解釈することで、自分自身を守り、世界を安定させるための道具です。同時に、他者とのやりとりの中で、相手との軋轢(あつれき)をできるだけ抑えるための道具でもあります。

現実の断片は改竄された記憶になって僕の中に溜まっています。意識しないまま、僕の周りには嘘でつくられた真実が壁のように立ち上がっているのです。

だからこそ僕は強い意志を持って嘘をつき、自然につくられてしまっている嘘の世界を破壊したいと願います。

嘘を通じてしか現実世界を見られないのなら、その嘘を変えるだけで、僕に見える現実の世界は変えられるはずです。僕は自分の中にある嘘の世界を変えることで、現実の世界を変えようとしているのかも知れません。知らず識らずのうちに自分が切り捨てたもの、見落としたもの、なかったことにしているものをちゃんと埋めて、もう一度世界の見方をつくり直す。

そうやって現実世界と折り合いをつける。僕が嘘をつく理由はその辺にありそうな気がしています。

意志を持ってあえて嘘をつくことで、この嘘だらけの世界の中で自分が主導権を握るのです。嘘はそのための強力な道具なのだと考えているからこそ、僕は毎日のようにデタラメ話を書き散らしているのです。

嘘を使って自分の世界をぐらつかせ、人生のつじつまが合わないようにし、つい一つの物語に固まりそうになる自分自身を、常に変えようとしているのです。(了)

浅生鴨(あそう・かも)
1971年、兵庫県生まれ。作家、広告プランナー。出版社「ネコノス」創業者。早稲田大学第二文学部除籍。中学時代から1日1冊の読書を社会人になるまで続ける。ゲーム、音楽、イベント運営、IT、音響照明、映像制作、デザイン、広告など多業界を渡り歩く。31歳の時、バイクに乗っていた時に大型トラックと接触。三次救急で病院に運ばれ10日間意識不明で生死を彷徨う大事故に遭うが、一命を取りとめる。「あれから先はおまけの人生。死にそうになるのは淋しかったから、生きている間は楽しく過ごしたい」と話す。リハビリを経てNHKに入局。制作局のディレクターとして「週刊こどもニュース」「ハートネットTV」「NHKスペシャル」など、福祉・報道系の番組制作に多数携わる。広報局に異動し、2009年に開設したツイッター「@NHK_PR」が公式アカウントらしからぬ「ユルい」ツイートで人気を呼び、60万人以上のフォロワーを集め「中の人1号」として話題になる。2013年に初の短編小説「エビくん」を「群像」で発表。2014年NHKを退職。現在は執筆活動を中心に自社での出版・同人誌制作、広告やテレビ番組の企画・制作・演出などを手がける。著書に『伴走者』(講談社)、『アグニオン』(新潮社)、『だから僕は、ググらない。』(大和出版)、『どこでもない場所』『すべては一度きり』(以上、左右社)など多数。元ラグビー選手。福島の山を保有。声優としてドラマに参加。満席の日本青年館でライブ経験あり。キューバへ訪れた際にスパイ容疑をかけられ拘束。一時期油田を所有していた。座間から都内まで10時間近く徒歩で移動し打合せに遅刻。筒井康隆と岡崎体育とえび満月がわりと好き。2021年10月から短篇小説を週に2本「note」で発表する狂気の連載を続ける。