「完璧主義」を手放すには?

「完璧」という言葉は一見良く思えるが、そこに隠れた実態はそうではない。
実際に、完璧主義者には次のような特性があるという。

第一に、どんなに小さな失敗も反芻してしまう傾向がある。
起きたことはしかたがないと考えて次に進めばいいものを、失敗してしまったこと、失敗を起こす前に綿密に確認できなかったことへの自責をやめられない。

第二に、失敗を恐れて新しい試みや挑戦を避ける。
完璧主義者は、自分が完璧にコントロールできない状況では、挑戦や新しいことをすることはない。
完璧に準備することに時間を費やし、重要な機会を逃すこともある。

第三に、決められない症候群だ。
完璧主義の人たちは、毎回、ベストな選択をしようとする。自分の考えた筋書きと基準にぴったり合わせようとする。わずかなほころびも許せず、より完璧な選択肢を探し続ける。

そのため、時には周りから優柔不断な人という評価を受けることもある。
結局、完璧主義者たちは、周囲の評価により、今よりもっと完璧になろうと自分にムチを打ち続け、自分を苦しめる。

私たちは神ではない。
仕事をしていれば、ミスもするし判断を誤ることもある。
それなのに、私たちはそれを受け入れられない。人間の能力ではすべての状況をコントロールすることなどできないのに、そんな能力を求めずにはいられない。
だが、はたしてそんな必要はあるだろうか?
まったくないはずだ。

心を解放し、考え方をラクなほうに変えてみよう。
失敗しても、不完全でもかまわない。
目標に向かって進んでいく過程に意義を見出し、満足できればいいのだ。
「完璧なものはない」という気持ちでいてこそ、選択と決断からも自由になれる。

つい先日、例の「完璧キム」から電話がかかってきた。
以前より声が明るくなった気がしたが、彼はすべてを手放して田舎に戻り、小さなカフェをオープンしたと言っていた。
「あまり完璧に生きようとするなよ! 自分の心を疲れさせるだけだから」と言った彼の声は穏やかで、どこかゆとりが感じられた。

私もまた、友人の選択と決断に勇気をもらい、完璧主義の奴隷として生きるのはやめようと心に決めた。

(本稿は、チェ・フン著 李明華訳『私はすべて自分で決める。』から一部抜粋・再構成したものです)