画像:特集『京都企業の血脈』#3キービジュアルPhoto:kyodonews

日本電産社長だった関潤氏の解任が明らかになると、社内に激震が走った。少なくない社員が関氏の慰留に努めたり、幹部社員が退社を決めたりした。実際に、関氏に近い幹部らには「200通を優に超えるメール」が殺到したという。特集『京都企業の血脈』の#3では、社員が決死の覚悟でつづったメールの中身を明らかにする。絶対権力者である永守重信会長に、社員の“悲痛な叫び”が届く日は来るのだろうか。(ダイヤモンド編集部副編集長 浅島亮子)

>>【スクープ!日本電産“社長解任”全真相【前編】、永守会長が関氏に突き付けた「2通の通知書」の中身】から読む

永守氏出席の“御前会議”で起きた大事件
車載事業の重臣が翻した反旗

「そんな無茶なことを言われたってできません!(日本電産の永守重信)会長は以前の会長とは変わってしまいました。もう私も辞めます!」

 8月末、日本電産の永守氏が出席する経営会議の最中に、前代未聞の大事件が起きた。常務執行役員で電気自動車(EV)用の駆動モーター事業を担当する早舩一弥氏が、永守氏による執拗な攻撃に逆上し、その場から立ち去ってしまったのだ。早舩氏は三菱自動車で電気自動車の開発に携わっていたスペシャリスト。転職組ながらエリート面しておらずガッツがあることから、永守氏の信任が厚い幹部として知られる。

 7月4日、永守氏による一方的な通告により、関潤社長(当時)の退任が決まった。9月末の臨時株主総会を経ての退任となるはずがその後、永守氏の判断で関氏の最終日は9月2日に繰り上がった。日本電産関係者によると、「退任までの1カ月余りの間、関さんは会長が出席する“御前会議”への参加を認められなくなった」と明かす。

 冒頭の会議は、本来ならば関氏が車載事業を管掌する最終責任者として参加しているはずだった。EV用駆動モーター「電動アクスル(モーター、インバーター、減速機が一体となったEV部品)」の計画未達を理由に、永守氏による罵倒の矛先が早舩氏へ向かったのである。関氏に代わる格好のターゲットとなったのだ。

 古参幹部や銀行出身の幹部とは違って絶対服従タイプではないにせよ、早舩氏が絶対君主である永守氏に公然と盾突いたことに、会議の参加者は驚きを隠さなかった。

「早舩の乱」の顛末は、またたく間に社内で知られるところとなった。当の永守氏自身が戸惑ったであろうことは想像に難くない。前出の日本電産関係者は「関さんに続いて早舩さんまでいなくなると車載事業が立ち行かなくなる。会長はそうした事情を分かっているので、会議後に体裁を取り繕ったのではないか」という。それでも反旗を翻したことが影響したのか、10月1日付けで車載事業本部長になったのは、ソニーグループ出身の岸田光哉・専務執行役員だ。関氏の後任に、スペシャリストの早舩氏が就くことはなかった。

 ことほどさように、関氏退任による社員の動揺は、永守氏が想定していた以上に大きかったのかもしれなかった。

 実際に、関氏の退任が知れわたると、関氏に近い幹部には200通を優に超えるメールが殺到したという。次ページでは、社員の動揺がうかがい知れる「メールの中身」を明らかにすると共に、永守氏と関氏の溝が埋まらなかった「本質的理由」についても触れる。