感覚の引き出しを豊潤に

 自分は、「ひらめき」にも「センス」にも無縁で、全くクリエーティブな人間じゃありません――と、自虐的に語る人がいます。そんな人でも、「あっという間の同定」や「ポジティブな誤読」は日常的にしているはずです。それだけでも創造的ですし、そこから具体的な「ひらめき」までは、あとほんの一歩だと思うのです。

 人にはそれぞれ、過去の感覚を使った体験によって生み出された「感覚の引き出し」があります。ひらめきを生むのは「感性」であり、感性を育むのは「どれだけ感じたか」という経験だとすると、五感を使った経験が豊かであればあるほど、新たな創造に近づいていくはずです。つまり、感覚の引き出しが豊潤であることが重要なのです。

 本から知識をインプットしたり、机上でプランニングしたりするだけでは、どうしても目の前の課題に「知性」だけで向き合ってしまいます。特にビジネスで「分かる/分ける」を重ねてきた人ほど、その枠に当てはめて世界を理解してしまうのではないでしょうか。でも、実は世界は分かれてなどいません。

 あらゆる業界に、知っておくべき知識があり、考え方の枠組みがあります。だからこそ専門性が深まるのですが、それは同時に自由な発想を阻む壁にもなり得ます。限界を突破するために、「越境しよう」という掛け声もよく耳にするようになりました。でも、どこをどう越えればいいか分からない。そんな迷路で行き先を照らしてくれるのが「感性」だと思うのです。

 デザイナーは、よく「アマチュアのプロ」といわれます。特定の領域、業界、業種に属さず、世界のあちこちから自由に素材を調達してきて、感性でつなげていく役割が求められているからでしょう。特別なことではありませんが、「分かる」世界だけで生きていると、これが案外難しいように思います。

 四六時中モニターに取り囲まれ、多くの情報をインプットするために「視覚」だけを酷使しがちな時代だからこそ、あえて触ったり、嗅いだり、聞いたり、食べたり……と、五感を複合させてみる。本を飛び出し、机からはみ出して、身体を動かして自分の感覚を起こしておくことが必要ではないでしょうか。

 「言葉を忘れて、体を動かそう」なんて、なんだか稚拙で気恥ずかしく感じるかもしれません。でも、それが越境の第一歩だと思います。「あらかじめ分野を越境している」のが身体であり、そこから生まれるのが感性です。何かの専門に精通している人ほど、あえて言葉の世界から離れて、身体的な感覚に身を委ねる時間を増やすことで、新しい扉が開くのではないでしょうか。