感性は、異質なものすら「つなげる」

 もう一つ、感性が「つなげる」はたらきの例を挙げてみたいと思います。「見立て」です。空を見上げて「パンダみたいな雲だな……」とふっと思うこと。熟成されたワインを口に含んで「ナッツのように香ばしい……」と感じること。手触りのいい毛布にくるまれて「猫のおなかに寝ているみたい……」と思うこと……。これらも、既知の感覚を引っ張り出して、今まさに体験中のモノやコトとつなげる行為といえます。

 ただし「同定」とは異なり、無数の水滴の集合である「雲」と、哺乳綱食肉目クマ科の動物である「パンダ」の間に、実際にはほぼ共通点はありません。雲をパンダだというのは、いわば「誤読」なのです。でも、青空が動物園に見えて心が和んだり、ナッツに例えることでワインがより深く味わえるのですから、「ポジティブな誤読」といっていいでしょう。もっと言えば、それは「創造」の第一歩だと思います。始まりは誤読でも、「空にパンダが漂うと妙に人を和ませるな」とか、「このワインに合わせて、ナッツをトッピングした前菜を注文しよう」と発想が広がれば、そこから新たな価値が生まれていくからです。

 面白いのは、このような発想は「つい」とか「うっかり」といった感じで、意識しなくても「生まれてきてしまう」ことです。私も、仕事でプロダクトデザインを考えているとき、ふと触った関係のないモノからインスピレーションを受けて「この形、使えるかも」とひらめくことがあります。頭で考えていた未知のプロダクトの形と、目の前にたまたまあった実在のモノが、感性でつながって、新しい何かが生まれていく。「ひらめき」は、感性のもたらす果実といえるのではないでしょうか。