2022年11月、松下電器産業(現パナソニックホールディングス)で社長を務めた中村邦夫氏が亡くなった。「破壊と創造」を掲げた中村氏は「ナショナル」ブランドの廃止や1万人を超えるリストラの断行など、松下経営に大胆にメスを入れ、低迷していた業績をV字回復させた。中村氏は約20年前に週刊ダイヤモンドの取材に応じ、改革を進める前に創業者・松下幸之助と“対話”を繰り返していたことを明かしている。創業家がつくった仕組みを壊し「破壊者」とも呼ばれた中村氏の対話発言の真意とは。「週刊ダイヤモンド」2001年6月2日号のインタビューを再掲する。(ダイヤモンド編集部)
迷ったときは創業者と“対話”する
「破壊と創造」を掲げた中村氏の哲学とは
――中村社長は「破壊と創造」を掲げ、創業者がつくった事業部制を撤廃するなど激しい改革を進めているわけですが、松下電器産業が歴史的に積み上げてきた「資産と負債」は何だと考えていますか。
資産は、創業者の松下幸之助が確立した経営理念に尽きます。それは連綿として時代を超え、正しいものであると実証されてきた。
たとえば、創業者は店員が5~6人の時代から、店員に「先月はこれだけ売って、これだけ利益が上がった」と、話していたといいます。今日風に言い換えれば、透明性や説明責任を重視していたわけです。利益や資産は、社会から預かったものだという哲学があったと言ってもいい。
また、会社がうまくいっているときは、あまり前面に出ない。だが、会社の向かっている方向が少しでもブレたら果敢に陣頭に立つ。そこはすごいものです。
――中村社長は迷ったときには、創業者であればどうしただろうとよく考える、とおっしゃってますが。
そうです。僕は(創業者のつくった)事業部制を壊したわけですが、今日のネット時代にはどんどん商品が融合化し、しかも、より速い開発・製造が求められている。創業者が生きているならばおそらく、商品開発や生産と営業・宣伝部門を切り離せばいいと決断するだろう、と考えました。
3年間で1500億円のIT投資を決めた時も同じです。
――創業者は、改革を進める自分の背中を押してくれる存在ですか。
そうですし、判断を下す前の話し相手ですね。それで、やめたこともありますよ。
――そういう意識が強くなったのはいつからですか。
海外へ出てからですね(1987年から97年まで米国。1年間だけ英国)。競争の激しい米国で経営するには、マネジメントのよりどころを持っていないとダメなんです。
――海外ではどんな“創業者との対話”をしたんですか。
実は中村氏は、松下幸之助と関わったことは「いっさいない」と断言する。やり取りしたこともない創業者と“対話”するとは、どういうことだろうか。次ページでは、“対話”という言葉の真意を明らかにするとともに、急激な業績悪化に見舞われた前任社長時代の評価にも踏み込んでいる。さらに中村氏は、企業のガバナンスの在り方にも触れ、「松下に米国型ガバナンスは不要」と言い切る。この言葉は、インタビューから20年以上経ち、ガバナンスがもはや常識となった今でも示唆に富むものだ。インタビューから中村氏が「破壊者」と呼ばれるようになった理由が浮かび上がる。