社会的な経験のバリエーションが
圧倒的に不足していた
野口さん自身、宇宙では、多様なバックグラウンドを持ったクルーたちと共同作業を行ってきた。例えば、3回目の宇宙飛行となったクルードラゴンのミッションは、軍のパイロット、女性、黒人、そして日本人の野口さんという多様性に富んだメンバーだった。軍民や性別を問わず、国籍も人種も違うメンバーが選ばれた。その多様性こそが、宇宙滞在という困難な状況を乗り越える、打たれ強いレジリエンス(回復力)につながったのだ。
そんな野口さんでも、宇宙飛行士になった当初は、戸惑いや気後れがあったという。
1965年神奈川県生まれ。東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士課程修了。2005年、スペースシャトル「ディスカバリー号」による国際宇宙ステーション(ISS)組み立てミッションに参加。09年。ソユーズ宇宙船に船長補佐として搭乗、ISSに約5カ月半滞在。20年、米国人以外で初めてクルードラゴン初号機に搭乗、ISSに166日間滞在、船外活動や「きぼう」日本実験棟におけるさまざまなミッションを実施した。写真提供/野口聡一
「私自身、大学を出るまで日本の学校制度の中で育ってきたので、国際感覚もなく、社会的な経験のバリエーションも圧倒的に不足していました。学生時代のほとんどを、学校や塾や受験勉強に費やしてきたので、答えのある筆記試験には強いけれど、答えがない問題に対しては、突破口を見つけるのが苦手でした。
海外の若者たちは、徴兵制がある国もあり、もっとさまざまな経験をしており、広い視野を持っている。そんな私が、NASAに入って意識したのは、謙虚になって、周りをよく見ることでした。みんなが今何を考えているのかを、まずはじっくり観察する。そこでは、“言わなくてもわかる”日本の文化は通用しません。自分との違いを探す作業が、コミュニケーションの根本にあると考え、まずは相手をリスペクトして、話をよく聞くことから始めたのです」
異質な集団に放り込まれたとき、気後れするのは当たり前だと野口さんは言う。それでも、観察を通して自分との共通項を見つけ、少しずつ自分からアクションを起こし、グループに溶け込んでいく。そうした野口さんの姿勢は、新社会人にとっても参考になるだろう。
*「野口聡一氏インタビュー(下)」は12月21日公開です。