小林一三・阪急東宝グループ創業者
 前回に続いて、1952年5月15日発行の「週刊ダイヤモンド」臨時増刊「日本の告白」に掲載された小林一三(1873年1月3日~1957年1月25日)と、ダイヤモンド社創業者、石山賢吉の対談だ。

 主に電力会社経営について語っていた前半に対し、後半は公職追放を経て16年ぶりに社長として戻ってきた東宝についてが話題の中心だ。戦争を挟んで国内のエンターテインメント産業は大きく様変わりしており、「今までのものは見込みがない」と小林は明かしている。

 対談の最後に小林は、昔ながらの「稼業」を持つ者が、それを途切れさせることなく精を出すことが、日本復興の早道だと説いている。例に挙げるのが大阪名物の粟おこしだ。米や粟などを熱して干した後、水あめや砂糖で固めたおこしは、日本最古のお菓子ともいわれ、1805(文化2)年創業のあみだ池大黒が老舗として知られる。終戦後は経営者が亡くなった上に原料の米の調達がままならず、2人の息子も稼業を継ぐ気がなく製造をやめていたが、外地から引き揚げてきた親類が再興し、「バラックを造り、機械を据えて、この1月から売り始めた。すると、百数十年も続いた老舗だから、再興したとなると昔の関係者が続々集まってきた」というエピソードを披露している。

 もちろん、ただ続けるだけでは意味がない。「仕事というものは、時代の進運に合致しなければならぬが、絶えず一歩先んずるところに勝利がある」と持論を語っている。(敬称略)(週刊ダイヤモンド/ダイヤモンド・オンライン元編集長 深澤 献)

16年ぶりに東宝へ来た
全く新しい行き方でやりたい

小林一三・阪急東宝創業者が戦後の“独立回復”を機に語った日本再興論(後)1952年5月15日「週刊ダイヤモンド」臨時増刊より

石山 これからの大衆娯楽はやはり映画ですか、テレビも大いに普及すると思いますが。

小林 映画は世界的だが、テレビが映画にどう影響するか、大いに研究しなければならないのではないか。

 ただ私は今度16年ぶりに東宝へ来てみたが、食堂経営に対する考えが、すっかり違ってしまった。今までの食堂経営では立ちゆかない。だから僕は日劇や帝劇の食堂は、全部やり直すつもりだ。第一に8時間労働勤務とかいろいろ面倒なことになったから、思うように人が使えない。しかも一方では、コック部屋の施設をアメリカ風に衛生的にせねばならぬから、今までの3倍以上の料理場のスペースが必要だ。何もかもまるで違った世の中になっている。

 今度アーニー・パイルが返ってきても(ダイヤモンド編集部注:東宝劇場は戦後GHQ〈連合国軍総司令部〉に接収されアーニー・パイル劇場と名を変えていた)、昔式の食堂はやろうとは思わない。

 もっとも、帝劇も日劇もアーニー・パイルの食堂も一緒にやれるとすれば、全く新しい行き方でやりたいと思っている。今までのものは見込みがない。苦労してやる必要はない。

石山 どんなことをやるつもりですか。