50年前の1973年3月、連日の列車遅延に不満を爆発させた乗客が国鉄高崎線上尾駅で暴動を起こす「上尾事件」が発生した。その背景にあったのが、国鉄の労働組合である国鉄労働組合(国労)と国鉄動力車労働組合(動労)による「順法闘争(順法スト)」だ。戦後のスト観を変えるほどの事件はなぜ起きたのか。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

日本の分岐点となった
50年前の1973年

 50年前の1973年は日本にとって大きな分岐点となる激変の一年だった。高度経済成長の象徴である東京オリンピックから約10年、大阪万博から3年が経過したこの年、世界情勢の変化とともに日本も曲がり角を迎えていた。

乗客の投石で窓ガラスが割られた電車乗客の投石で窓ガラスが割られた電車(埼玉・上尾市の国鉄上尾駅) Photo:JIJI

 予兆は、1971年にアメリカのニクソン大統領が発表した二つの「ニクソンショック」に表れていた。一つが7月15日の中国訪問予告だ。これにより米中関係は大転換し、国連常任理事国の代表権は中華民国(台湾)から中華人民共和国に移り変わった。

 もう一つが「ドルショック」とも呼ばれるドルと金の交換停止宣言だ。これにより米ドルを基軸通貨として各国通貨の為替レートを固定する「ブレトンウッズ体制」が崩壊し、円の対ドル為替レートは360円から308円へと大幅に切り上げられた。