陳列された週刊誌Photo:JIJI

政財界や芸能界が「文春砲」と恐れる「週刊文春」。その編集部でかつて「狂犬」と呼ばれていた敏腕女性記者がいる。そんな人物から見ても、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏の経営哲学は特筆に値するものだったようだ。彼女が「目からうろこが落ちた」と吐露した稲盛哲学とは何だったのか。(イトモス研究所所長 小倉健一)

「週刊文春」のスクープ記者も
稲盛哲学に目からうろこが落ちた

 稲盛和夫氏の経営哲学に触れて、働き方そのものを改めたという人も多いが、「親しき仲にもスキャンダル」を標榜(ひょうぼう)し、荒れ狂う現代社会というジャングルの中で猛然とスクープを追い続ける「週刊文春」の記者もその例外ではなかったようだ。

 その人の名を「森下香枝」という。森下氏は、現在、朝日新聞本社のネットワーク本部に所属する現場の記者だ。朝日新聞デジタルで確認する限り、月に17本(2022年12月実績)もの記事を書いている。森下氏は、(大阪の)日刊ゲンダイから週刊文春に移籍、その後、朝日新聞に入社すると、「AERA dot.」創刊編集長、週刊朝日編集長を務めて、朝日新聞に戻った。

 森下氏が頭角を現したのは、週刊文春編集部時代だ。

 1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件では、加害者である少年Aの両親の手記という大スクープを取り、和歌山毒物カレー事件や、猛毒トリカブトによる連続殺人で話題になった「埼玉・本庄保険金殺人事件」など、数々のスクープを飛ばした。

 当時の週刊文春編集長・松井清人氏は「森下さんは、とにかく『諦めの悪い』記者だった。いったん取材相手にくらいつき、噛みついたら放さないのは、実家で土佐犬と一緒に育ったからだ、と編集部内で言われていたけどね(笑)」(PRESIDENT 2019年10月4日号)と語っている。当時の編集部では、そんな実家でのエピソードから森下氏を「文春の狂犬」と呼んでいたという。

 森下氏は「それは違います。赤い鼻の土佐犬に似た雑種です。親に叱られたとき、犬小屋に入っていただけです」と釈明するが、やはり、怖そうな犬と一緒に育ったという事実は間違いがなかったようだ。

 そんな文春の敏腕記者をもって「目からうろこが落ちた」と言わせしめた稲盛哲学とはどのようなものだったのか。森下氏のさらなる驚きのエピソードや、森下氏による稲盛氏へのロングインタビューの秀逸なやりとりなどとともに、ご紹介したい。