説明責任があるのはマイノリティーではなく
同性婚に反対している議員たちだ

 マイノリティーは、常にマジョリティーから説明を求められる。なぜ権利を求めるのか、それに根拠があるのか、「我々」を説得することができるのか――。絶えず説明を求められるため、同性婚にしろ、選択的夫婦別姓にしろ、法制化を求める人たちはエビデンスを用意して議論に挑んでいる。

 ネット上では何かに対して抗議したり批判したりする人たちの意見を、「お気持ち」と揶揄(やゆ)して矮小化するスラングがある。しかし、性的マイノリティーの当事者たちが積み重ねてきた主張と、荒井氏の発言のどちらが「お気持ち」かと言えば、圧倒的に荒井氏だと筆者は思う。

 これから必要なのは、法制化を求める人たちにこれ以上説明をさせることではなく、反対する議員たちに、なぜ反対するのかを徹底的に言葉に出させることだろう。

 岸田首相は「丁寧に説明していく」「慎重な議論が必要」と繰り返すが、本当に真摯(しんし)に議論する必要があるならば、なぜ反対するのかを「国民一人ひとりの家族観とも密接に関わるものであり」というようなあいまいな言葉ではなく、具体的に語るべきだ。具体的に語ろうとすれば、荒井氏のように根拠のない差別発言になってしまうから言えないのではないのか。

 これまで「マジョリティー」であることにあぐらをかき、説明責任を持たされてこなかったことのツケが今になって噴出している。