過去に除名処分されたのは
どんなケースか

 国会では、過去に除名処分をしたのは、1950年、1951年のことだ。内容については、JーCASTニュース(2019年06月07日)で工藤博司氏が詳細に述べているので引用する。

「現行憲法下での除名の事例は2つ。1950年の小川友三参院議員(無所属)と51年の川上貫一衆院議員(共産)だ。小川氏は、予算委員会、本会議では反対討論をしたが、本会議では賛成票を投じたことが問題視された。委員会での表決と本会議での表決との間に「極めてまじめさを欠く発言」もあったとされた。当時の議事録によると、小川氏が本会議で弁明する際、社会党の議員から「エレベーター前で以て背負い投げを食いました」と発言。議場からは失笑の声があがった」

 川上氏の場合は、連合国軍総司令部(GHQ)による占領政策を批判する代表質問の内容が「虚構と捏造(ねつぞう)」だとして懲罰動議が出された。一度は陳謝処分が決まったが、川上氏は従わなかったため、除名になった。除名の原因になった代表質問について、吉田茂首相(当時)は「ただいまの議論は、要するに共産主義の宣伝演説であると考えますから、一々答弁しない」と答弁を拒否している。

 民主主義国家である日本において、選挙で民意を得た議員の身分は重い。政治に明るくなく、国会議員になりたいのは不逮捕特権が欲しかったからだという批判もあったガーシー候補に対してどれほどの思いで有権者が票を入れたのかは不明だが、当選した以上、一定の敬意を払う必要がある。国会議員の身分を、3分の2の多数派が勝手に剥奪するようなことを許しては権力に対して声を上げることが困難になってしまうのではないだろうか。

 今、ガーシー氏の処分を決める懲罰委員会の委員長である、鈴木宗男参議院議員の決断は重いものとなる。鈴木氏がガーシー氏の処分を決める委員長だと知ったガーシー氏は、自身のインスタグラム(2月13日)で、「オレも何回もゆうてる オレをやめさせれるのは、ハゲ散らかしたムネオハウスやなく、オレに票入れてくれて有権者だけやと! こんなしょぼくれたジジイに参議院議員にしてもろたんちゃうわー 勘違いすな」として、鈴木氏を徹底的に揶揄して、警戒感を隠していない。

 そこで、私は、鈴木宗男氏に直撃インタビューした。