「予想」は第5位で、登場頻度は前任者たちの4倍超だ。インフレ「予想」という使われ方が最も象徴的だが、それ以外にも、物価に関する人々の「予想」に難がある、それを変える必要があるという文脈で頻繁に使用された。

「物価」とのペアで「予想」が登場するのは多くの読者にとって違和感のないところだろう。しかし、「金利」は、少なくとも筆者には意外だった。黒田総裁が、就任直後の記者会見で、マネー量を2倍に増やすことで物価上昇率2%を2年で実現と訴えた印象が強いためか、黒田日銀の用いる政策ツールは金利ではなくマネーの量(マネタリーベース)だと思っていた。

 しかし講演での登場頻度で見ると、「マネタリーベース」はかろうじて横軸の右端(33位)にあるものの、使用頻度は低く、前任者たちの頻度とあまり差がない。

 それに対して「金利」は登場頻度2位であり、前任者たちの2倍以上の頻度だ。インフレ予想を高めることで実質「金利」を下げるといった言い回しが頻繁に登場するほか、任期後半にYCCを開始すると、長期「金利」の重要性を強調するという文脈でも使用されるようになった。

 筆者が『物価とは何か』で強調したように、物価を決めるのは人々の予想だ。まさに「インフレもデフレも人々の気分次第」だ。だから、インフレやデフレを抑えようとするときの要諦も、いかにして人々の予想をコントロールするかにある。

 例えば、プリンストン大学教授からFRB議長となり、その後、ノーベル経済学賞を受賞したベン・バーナンキ氏は、Fed退任後の2015年に、「中央銀行の行う金融政策は98%がトークで、アクションは残りの2%にすぎない」との名言を残している。

 黒田総裁が「予想」を多用したのは、人々の予想に働きかけることが重要という経済学者の考え方を踏まえたものだ。

 これに対して、黒田総裁の前任者たちが「予想」を語ることはほとんどなかった。なぜなら、日銀理論では、物価が予想で決まるとは考えないからだ。

 では予想でないとすると、何が物価を決めるのか。その点は必ずしも明らかではないが、筆者の印象では、財・サービスの需給や生産性、さらには人口成長率など、経済の実物サイドの要因(非貨幣的な要因)が物価を決めると考える傾向が強い。どちらが正しいかはさておくとして、ここも経済学者と日銀理論が大きく食い違っているところだ。

新総裁が語るのは「物価」か
それとも「金融機関」か

「物価」と「賃金」は黒田総裁と前任者たちの違いを表す単語だが、両者の違いを表す象徴的な単語がもうひとつある。それは、図の横軸の15位のところにある「金融機関」だ。

 黒田総裁は「金融機関」について多くを語ることはなかった。それに対して前任者の二人は「金融機関」を頻繁に口にしており、前任者二人の講演での「金融機関」の登場頻度は福井総裁が第2位、白川総裁が第3位だ(下表を参照)。

 日銀の役割のひとつは物価の安定、もうひとつは金融システムの安定なので、「金融機関」が頻繁に登場すること自体は決して不思議ではない。黒田総裁は「金融機関」を軽視し過ぎたという見方もできるだろう。いずれにしても、ここにも日銀理論の影響が色濃く出ている。

 新総裁が最初に取り組むべきは金融の正常化との声が少なくない。これは、黒田総裁による「金融機関」軽視を軌道修正するという意味合いがあるのかもしれない。

 一方、黒田総裁が饒舌に語ってきた「物価」と「賃金」、あるいは「予想」については、トーンダウンを求める声が高まっている。

 植田和男新総裁のセンテンスに多く含まれる単語は「物価」や「賃金」なのか、それとも「金融機関」なのか。最初に語りかける“言葉”を見れば、金融政策の次の5年を占えるだろう。