三井記念美術館が東京・日本橋にある三井本館の7階に開館したのは2005年のこと。三井ファミリー11家に伝わる美術品のコレクションが寄贈され、研究と公開に供されてきた。一方、三菱の創業家である岩崎家も書画や骨董、美術品のコレクションを有し、それらを収めた静嘉堂文庫美術館が、東京・世田谷から東京・丸の内に移転したのが2022年10月。こうして両美術館は“ご近所さん”となり、さらに23年3月3日の節句では、三井家と岩崎家の「ひな人形展」がまるで競うように開催されている(文中敬称略)。(コラムニスト 坪井賢一)
三井家の貴婦人のコレクションは一見の価値あり
三井記念美術館がある三井本館と、静嘉堂文庫美術館がある丸の内・明治生命館は、共に国の重要文化財に指定されている。クラシカルな様式を引用した昭和戦前を代表する重厚華麗なオフィスビルだ。復元・改装・整備の工事が行なわれているものの、三井本館は1929年、明治生命館は1930年竣工の歴史的な建築である。
桃の節句の直前、両美術館を訪ねてみた。まず日本橋の三井記念美術館へ。隣接する高層の日本橋三井タワーのエントランスから入り、そこからクラシカルな三井本館へ移ってエレベーターで7階の美術館へ向かう。まるで、モダンとプレモダンを往復する体験だった。この“仕掛け”のせいで、入館までうろうろしてしまったが、じっくり建築ウォッチングするにはちょうど良かった。
展覧会のタイトルは「三井家のおひなさま」。ひな人形をテーマにするのは4回目になるそうで、早春の恒例ともいえる。ひな人形は主に3人の貴婦人のコレクションだった。3人とは、三井11家の筆頭(総領家)北三井家10代の三井高棟(たかみね)(1857~1948)の苞子(もとこ)夫人、同11代の高公(1895~1992)の鋹子(としこ)夫人、そして高公の長女で浅野家へ嫁いだ久子夫人である。
女子の成長を祈念して厄払いする上巳(じょうし)の節句。ひな人形には、身代わりとなって災厄を回避する役割があった。それが、やがてミニチュアの人形や道具で遊ぶ女子のお祭りになったという(日本人形協会の『人形辞典』より)。
苞子夫人は富山の前田家、鋹子夫人は福井の松平家から北三井家へ嫁いだので、それぞれ大名家で伝えられたひな人形とひな道具ということになる。久子夫人は逆に、浅野財閥へ三井家の人形と道具を持参したということだろう。もちろん、嫁ぎ先で購入した人形や道具もある。
展示室で最初に目に入るのは「享保雛」で、図録には「能面のような顔立ち」で大型だと書いてある。確かに大きくて立派なもので、男雛が高さ44.8cm、女雛が46.5cmもある。200年前のものとは思えない明瞭な輪郭と鮮やかな装飾に目を奪われる。他にも、貴族の衣裳と所作を模した「有職雛」も風情がある。
明治に入ってから製作されたという「五人囃子」「五人官女」も何種類か展示されていた。これが、写実的な動作を模していて実に美しい。様式にはいろいろなバリエーションがあることもわかった。
また、嫁入りで持ち込んだミニチュアのひな道具類は、筆者は初めて見るものばかり。食器や文房具、化粧道具、乗り物などのミニチュアが大量に展示されていて、飽きることなく楽しめた。木製の道具や陶磁器はともかく、銀製のミニチュア道具まであったのは驚いた。
浅野久子のひな壇飾りには落ち着きがあり、高級感が漂う。1934年製で、久子が1歳時にプレゼントされたものだ。大きな5層のひな壇に「五人官女」「五人囃子」が並ぶ。ミニチュアのひな道具類や桃の花も置かれ、実に華やかだ。普通の家庭では大きすぎて置けないし、まずお目にかかれない代物なので、一見の価値があった。