「YUMING MUSEUM」という展覧会が東京・六本木ヒルズの東京シティビュー(屋内展望台)で開催されている(会期は2月26日まで)。デビュー50周年のユーミンこと松任谷由実のポップな音楽を探索するには絶好の機会であり、ユーミンの知的生産活動を丸ごと展示した画期的なイベントだ。本稿では日本のポップスの歴史を振り返りながら、グループサウンズとユーミンをひもとき、ユーミンのデビュー時の知られざる秘話について記していく(文中敬称略、前後編の後編)。(コラムニスト 坪井賢一)
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グループサウンズとユーミン
日本のポップスの歴史を振り返ると、1960年代は加山雄三(1937~)、荒木一郎(1944~)といったシンガー・ソングライターの草分けが活躍していた。60年代の後半にはブルー・コメッツ、ザ・スパイダース、ザ・ワイルドワンズ、ザ・フィンガーズといったバンドが登場し、伝統的な歌謡曲と少しテイストが違う洒落た洋楽風ポップスのグループサウンズが売れ始める。彼らの大半は団塊の世代だった。たとえば沢田研二(1948~)、岸部一徳(1947~)、堺正章(1946~)などだ。
一方、商業ベースに乗ることをよしとしなかった同じ世代が、エレキギターではなく、アコースティックギターでフォークソング・ブームの主役となる。吉田拓郎(1946~)、井上陽水(1948~)などなど。こちらはグループサウンズとはデビューの経路が違うので、また別の機会に探索しよう。
グループサウンズ・ブームの頂点だったザ・タイガースから加橋かつみが脱退したのが1969年3月。翌70年末にはザ・タイガースが解散を表明し、71年1月に解散コンサートを開いている。
ユーミンは、ザ・フィンガーズのおっかけだったそうだ。ザ・フィンガーズはそれほど有名ではないだろうが、アイドル路線からかなりワイルドなロックまで演奏していたことをぼんやり覚えている。慶應義塾高等学校の在学生が結成した東京のかっこいいバンドだった。
山内マリコ著『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』によると、ユーミンはザ・フィンガーズが解散し、加橋かつみがソロになった1969年当時は高校1年生。なんと中学生の頃から、音楽関係者が集うレストランである六本木のキャンティや、ライブハウス(新宿ACBホールなど)に出入りし、ザ・スパイダースのかまやつひろし(1939~2017)やザ・フィンガーズのシー・ユー・チェン(1947~)らと親しかったというから驚く。