「ターゲットとした都市の総人口は1450万人を超える。これは日本本土の総人口の4分の1をわずかに下回る数である。その全ての人が攻撃の影響を受けることになるだろう。労働者人口の大部分に犠牲者を出し、軍需品生産工場、通信、および輸送施設に被害を与え、使用不能にさせることにより、日本の戦争遂行能力は奪われるだろう」

 1450万人以上の一般市民を明確に攻撃対象と定め、彼らが行動不能になることで戦争の継続を不可能にする。まさに、ミッチェルが書き記していた航空戦略と一致していた。まだ航空兵器も化学兵器も発展途上だった時代に構想された凄惨な空爆思想が、科学の発展とともに現実に落とし込まれていたのだ。この空爆作戦が実行されていたら、いったいどれほどの被害がもたらされたのだろうか。正直、想像もしたくない。

 この空爆計画の表題には、「報復」という文言が盛り込まれている。しかし、何に対する報復なのかは明記されていなかった。戦況次第では、報復の解釈が変更され、この計画が実行に移されていた可能性も否定できない。

 国や軍が追い詰められていったとき、倫理観の基準も変わっていく。焼夷弾爆撃への方針転換が証明するように、地滑り的に道義的な責任は薄れていき、容認される攻撃方法が拡大していくこともあるだろう。アーノルドら航空軍は、一般市民を標的とする非人道的な空爆戦略を常に準備していた。そのことが、いかに恐ろしいことか。その狂気と悪辣さに触れ、言いようのない戦慄を覚えた。