アートが生まれる時間とイノベーションが生まれる時間

食事は、素早く済ませることと、時間をかけてゆっくりと味わうことの両方に価値やスタイルがあります。生産効率という面から考えると、何においても時間は短いことが良いとされますが、一方で、ハンドクラフトの作業工程のように時間をかけることが重視される領域もあります。「意味のイノベーション」では「時間」が重要なファクターとなります。ロベルト・ベルガンティが『突破するデザイン』の中で紹介しているアートに関する二つの例を挙げながら、イノベーションにおける時間の意味について考えていきます。

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絵画によって変わる聖母マリアの「意味」

 ベルガンティが『突破するデザイン』で示したアートのエピソードの一つ目は、ラファエロ・サンティ(1483〜1520)です。言うまでもなく、ダ・ヴィンチやミケランジェロと並ぶルネサンス期の代表的画家の1人です。ベルガンティが取り上げているのは、1200年代中ころに描かれた作者不詳の『大きな瞳のマドンナ』と、ラファエロが1505〜06年に描いた『ひわの聖母』で、中世と新しい時代を迎える変遷期の作品を比較しています。前者ではベールを身にまとった無表情の聖母に後光が差し、イエスを1本の指で支えています。全てが平面的です。

アートが生まれる時間とイノベーションが生まれる時間『大きな瞳のマドンナ』―宗教的象徴としての聖母マリア

 一方、後者ではリアルな自然の風景をバックに人間的な表情の聖母がおり、その前には地上に足を着けたイエスが立っています。人としての交流があり、全体として立体的です。宗教的シンボルとしての聖母マリアから、女性としての聖母マリアに意味が変わったのです。

アートが生まれる時間とイノベーションが生まれる時間『ひわの聖母』―女性としての聖母マリア

 ラファエロの聖母子をテーマにした一連の作品を見ると、1500〜04年の『ソリーの聖母』から『ひわの聖母』まで6年を要しています。その間の三つの作品を通じてもラファエロの思索の過程がうかがえるとベルガンティは指摘します(これらの三つの作品はインターネット上で鑑賞できるので、チェックしてみてください)。

『ソリーの聖母』では新しいアイデアが全て提示されていますが、その聖母はベールをかぶり、イエスには体重がないかのようで、背景も何もありません。新しい方向の兆しは見えるのですが、それをはっきりとは表し切れていなかったのです。05年の『大公の聖母』で初めてイエスの体重が表現され、同年の『カウパーの小聖母』では背景に自然の風景があり、聖母の後光やベースがなくなります。その翌06年の『牧場の聖母』ではイエスが地上に立ちます。そして『ひわの聖母』です。