印象派の誕生は意味のイノベーションそのもの
さて、『突破するデザイン』におけるアートのエピソードの二つ目は、フランス印象派が興る初期のプロセスが意味のイノベーションのモデルになっているという点です。
19世紀後半に興ったフランス印象派は、芸術アカデミーでそれまで主流だった絵画制作―室内でリアル度の高い描き方―を否定しました。ピエール・オーギュスト・ルノワールがパリのフォンテーヌブローの森の中で描いた絵画は、木が青色で、地面が紫色です。モノの輪郭も曖昧です。彼には目の前の風景がそのように見えたのです。
ルノワールはこの絵を学校の仲間であったアルフレッド・シスレーに見せて意見を聞いたところ、シスレーは「君はクレージーだ!」と叫びます。当時、「良い絵」とされるものとはあまりに掛け離れていたのです。
しかし、シスレー自身も同じ試みをしながら最終的にはルノワールの表現を受け入れることになります。シスレーは当時、クロード・モネやフレデリック・バジールとも頻繁に会って議論を重ねていましたが、そこで彼らにこの新しいコンセプトを伝えていくわけです。1864年が始まりです。ここが出発点になり、数年のうちに小説家、詩人、彫刻家、音楽家などさまざまな人間が激論をする場に参加するようになり、「印象派」と呼ばれる動きがさらに顕在化していきます。一瞬にして生まれるのではなく、初めの段階での試行錯誤があり、議論が規模拡大するまでの時間がありました。その結果、初めて「絵画の新しい意味」が可視化されていったのです。
フォンテーヌブローの森のはずれ(1885)
連載3回目でも紹介したように、意味のイノベーションのプロセスでは1人で考えるのが最初です。次にボクシングのスパーリングパートナーのようなビジョンやコンセプトを鍛えてくれる相手と対話を重ねます。それから徐々に話す相手の人数が増えていく。この中で、ビジョンなどがさらに「強化」されていきます。そして組織内の検討プロセス後に前回まで書いたデザインディスコースの一部としての「解釈者ラボ」が位置付けられます。印象派の画家たちと同様、ラファエロも1人で考えていただけでなく、人々との交流の中で思考を前進させたはずです。