「学力大国ニッポン」を作る
予算を倍増するなら教育費を!

 かつての日本の高成長時代には、特に高校卒業段階くらいでの学力の高さと勤勉性が日本人および日本経済の大きな強みだった。

 しかし、途中に「ゆとり教育」のような象徴的なイベントを挟みつつ、日本の教育行政は、若い世代の学力競争の邪魔をしながら、日本人の学力を憎むかのような愚策を繰り出し続けた。

 経済協力開発機構(OECD)の公的教育費支出のデータを見ると、日本はトータルでGDPの2.8%、高校以降の主に大学に対する支出は0.5%にすぎない。OECD平均はそれぞれ、4.1%、0.9%である。

「資源小国日本の資源は人だ」などと言いながら、教育費支出をケチっているのだから、国が栄えるわけがない。予算を「倍増」するなら、文句なく教育費だ。子育て支出でも、防衛費でもない。

 国が教育費を支払ってくれないので、子どもがいる家計は教育費負担が重い。その負担能力に差が付いているので、教育費を通じて、経済格差が再生産されている。平等が好きな国民なのだ。教育費支出の拡大に文句は出まい。教育費の公的支出拡大は、そのまま少子化対策にもなるはずだ。

 また、レベルの高い教育を受けていると国民はさまざまな環境で豊かに暮らしやすいし、国民の知的能力が高いことは長期的には国防にも有利だ。武器の開発でも使用でも、頭のいい人間の方が役に立つのは明らかだ。

 また、近年、小中学校も含めて、教職が過酷でかつ低報酬のために人気がなく、教師の質が下がっていることが指摘されている。例えば、中学受験が盛んな地域では、既に小学校の段階から、できる生徒と教師との学力の逆転が起こっているようだ。ろくに漢字も書けない教師がいる。教師の質を上げずに、生徒の質を上げることは難しい。幼稚園から大学院まで、あらゆるレベルで、教師の給料を上げて、教師の質の向上に努めるべきだろう。

 同時に、学力が優秀な生徒の「飛び級」を積極的に認め、それぞれの学科や専門分野で競争を促進するべきだろう。

「強み」になるような人材を生み出すためには、若年の頃からの時間を無駄にしない鍛錬と、競争の厚みが必要だ。画一的な「受験戦争」よりは、例えば科目ごとの学力競争はさまざまなレベルで大いに奨励されるべきだろう。

 率直に言って、今のレベルの教師層では能力の高い子どもに追い付くことができないかもしれないが、オンラインの教育などを利用して、レベルの高い子どもにはレベルの高い教育を提供するべきだ。

 単なる受験の競争でも、ないよりはある方がいい。特に、一部の国立大学と、公立の中高では学力の向上を急ぐべきだ。