ですから、ネットでは炎上する側とさせる側に分かれた時点で、火を消すのが難しくなります。なぜなら、炎上させる側にとっては「する側」が何をどう言ったとしても、それが攻撃材料になっていくからです。

 たとえば、冒頭の「雨の日が嫌いだ」に対する「もし雨が降らなかったら、地球はどうなると思っているんだ!」は、完全に論点がすり替えられています。

 こうした論法は「わら人形論法(Straw-man)」と呼ばれる詭弁を使った論破の方法です。「わら人形」とは簡単に倒せそうな存在の比喩で、論点とずれた大切でない対象に焦点を当てる言葉の使い方です。

「子どもを道路で遊ばせるのは危ない」→「子どもを家に閉じ込めておけと言うのか」

「公共事業の予算を減らすべき」→「現場で働く労働者を守らなくてもよいのか」

 本来の論点ではない部分をとり上げて、相手を否定し、攻撃する論法で、炎上時にはかなりの確率で使われています。

 この「わら人形論法」に乗った形でやりとりをはじめてしまうと、延々と論点をずらされて議論が続いていくので、炎上している側が何をどう言っても火消しは難しくなってしまいます。

 仮に「わたしの『雨の日が嫌いだ』という発言は軽率でした。反省し、謝罪します」とツイートしたとしても、「謝罪したところで、傷ついた人たちのダメージが回復するわけではない」「これ以上の議論から逃げているだけではないか」「旗色が悪くなったら、ごめんなさいなんて子どもでもできること」といった反論があることでしょう。

 内集団から「敵」認定されたら最後、彼らが飽きるまで、もしくは別の標的を見つけるまで攻撃は続きます。

「正しい行ないをしている」という
叩いている人の危険な心理

 執拗な攻撃の背景には、もう1つ別の認知バイアスが関係しています。

 それは「偶像をつくり上げ、それを讃える、もしくは打ち負かすことで、正しい行ないをした」と感じる傾向で、わたしはこれを「偶像バイアス(Idolizing bias)」と呼んでいます。これは「内集団バイアス」と、外側の人はみんな同じという「外集団同質性効果」が合わさってできた認知バイアスの1つとして考えられます。

 つくり上げられる偶像には、プラスの偶像とマイナスの偶像があり、真逆の影響が出ます。プラスは神で、マイナスは悪。プラスの偶像は何をしても讃えられ、マイナスの偶像は執拗に攻撃されます。