カルチャーの違いを
コンティンジェンシー理論で説明
両者の違いは何であろうか。東大は決められたルールや制度、組織に則って一般教養も専門科目もしっかりと身に着けようとさせるカチッとした(Tight)組織である。一方で京大は、とにかく自由に学べばよく、ルール、制度、組織を緩やかに(Loose)設計している。これはコンティンジェンシー理論でいうところの機械的組織と有機的組織に通じる話である。
コンティンジェンシー理論とは環境適応理論とも呼ばれ、技術システムが異なれば有効な組織のシステムも異なるという考え方である。バーンズとストーカーという学者は、1961年にイギリスの電機メーカーの組織の調査を通じて、技術の変化率が緩やかな場合にはカチッとした機械的組織(官僚組織をイメージしてもらえればよい)を、変化が激しい場合には有機的組織(京セラのアメーバ型組織や自由な雰囲気のアップルのような企業をイメージしてほしい)が有効であるとした。
昨今、早稲田の同僚の入山章栄教授が、マイケル・L・タッシュマンとチャールズ・A・オライリーという学者の「両利きの経営」の議論を日本で流行らせて、ビジネスの世界ではちょっとしたバズワードになっている。ただ、もともとタッシュマンらは両利きの組織(Ambidextrous organization)という話をしていて、この両利きの組織という言葉は、コンティンジェンシー理論という組織論の文脈の中で、ロバート・ダンカンという学者が1976年に書いた論文で概念化したものである。ダンカンはイノベーションの創出の段階によって、最適な組織構造は異なるということを示した。
一方で、今日知られているタッシュマンらの両利きを理解するためには、二つの古典的な研究の話をする必要がある。一つは、ジェームズ・マーチという学者が1991年の論文で示した探索(exploration)と活用(exploitation)という概念だ。深化、深耕とも訳されている。
この二つの訳の存在は、探索と深化の解釈がかつて二つの流派に分かれているところに起因している。一つの解釈は、探索とは新たな知識の組み合わせを伴う組織学習であり、exploitationとは、現在の製品を改善する効率化と捉える考え方で、これは活用のイメージに近い。
もう一つは、探索を異なる技術トラジェクトリー(軌跡)への大きな変革を示すのに対して、exploitationを温存的で連続的な変化と捉えているので、単なる活用ではなく、深化、深耕であると考える。
いずれの立場にしても探索は多様性の追求であり、柔軟性の確保など、既存の技術に囚われない組織学習を示し、活用とは探索よりも改善や効率性を重視する連続的な組織学習であると考えられている。