日本企業には何が残っており
何が得意なのか

 日本の大企業は、それほどシナジーのないビジネスを多く抱え込み、コングロマリットディスカウントによって、市場での低評価に苦しんでいる。短期リターン志向は高まり、品質改善への情熱は失われ(大企業では品質のデータ偽装のケースが続発している)、インスタント成り金主義化は進んでいる。社員のコミットメントはとても低い(従業員エンゲージメントの指数などは世界各国との比較においてたいへん低い)、ものつくりの中心にあった世代は引退の時期を迎えている。

 このようなことから、2008年段階で伊丹、三枝両氏が指摘した日本企業の強みは、その後の15年程度で、ほとんど失われてしまったといってよいかもしれない。かといって、米国のビジネス社会のダイナミズムや、強引なまでの事業再構築の技術はもともと日本にはない。バブル以降の低成長で自信を失い、経営を米国風に少し寄せてはみたものの、成果は皆無、マクロでみる限り、もともとの強みが失われ、一方では、新たな強みも構築できていない状況にある。

 さて、こうした現状のなかで、ハーバードのビジネススクールの学生が日本にやってきて、日本は、日の沈む国なのかということを、体感のうえに議論したという記事を目にした(ダイヤモンド・オンライン『ハーバード大の学生が訪日研修、「“日が沈む国”とは全く思わなかった」理由』2023年2月24日付)。そして、彼らの実感値は、自分の目で日本を見てみると、他国にない優れた点がたくさんあり、独自の発展を遂げられる余地はあると言うのである。

 優れたところとしては、以下のようなことが挙げられた。まず、秩序だった社会。お互いに敬意を示す習慣。社会にただよう安心感。文化の多様性(食、遊び)、新しい挑戦の胎動、などである。私自身の知り合いである、日本駐在経験のある複数の外国人にも聞いてみると、グループで議論をしてコンセンサスを作っていこうとする姿勢、適度な飲み会を含むチームワークの良さ、などを日本企業の良さとして指摘してくれる。

 確かに、社会の安定性、日々の生活における秩序、生活のしやすさ、食べ物のおいしさ、人のやさしさなど、安定感のようなものは高く評価されてもいいだろうし、集団圧力や同調圧力にならなければ、チームワークを容易に醸成できることも強みである。しかし、一方では、このような状態は、成熟期の大人としての振る舞いであって、刺激と摩擦に満ちたエネルギッシュな成長期とは程遠い状況であるとも言える。

 米国は、所得格差の偏りという大きな副作用を伴いつつも、個人の突出とマネーの力でとにかく社会を変えてはきた。良い方向に変わっているのかという点で疑問もあるが、とにかくビジネスにおいて世界をリードしている。

 一方で、われわれの社会は、秩序を維持しお互いに敬意を示すなかで、事業ポートフォリオの組み替え、取捨選択ののちの巨額な投資、などを避けてきた。また、そういう剛腕のプロ経営者が生まれなかったというより、生み出さないようにしてきた。

 旧来の日本の組織運営の良さを維持しながら、グローバル資本主義の要求にもあったハイブリッド型の経済モデルが実現できればよかったのだが、もともと、これらの相性は悪いのだろう。両方の良さを同時に併存させられるような均衡解はおそらくないのだ。中途半端などっちつかずの状態が長く続き、いまや成熟から衰退へと転落し、その勢いは加速している。