1999年3月に日産・ルノーが資本提携契約を結んだときに、私が交渉をやって締結に持ち込んだ役割をしただけに、不平等条約からの解放という“悲願達成”で喜んでいるだろうとのコメントを取りたかったのでしょうが、それは違う。

 当時、倒産しかかっていた日産を、ルノーは助けてくれたのです。その後も、ルノーに搾取されてきたという見方もあるけど、それは大株主に還元してきただけのこと。「ルノーが日産をいじめてきた」みたいに見るのは、いかがなものかということなんです。

――確かに私も、石原俊さんが社長の頃から日産を長くウオッチしてきましたし、1990年代末に社長だった塙義一さんの苦悩もよく知っています。99年3月の塙さんとルイ・シュバイツァールノー会長(当時)の両トップの提携会見にも出席して取材しています。その後、資本提携で派遣されたカルロス・ゴーン元会長が業績をV字回復させたことで“日産の救世主”となりゴーン氏の長期政権が続いたわけですが、プロ経営者としての力量が誰しも認めた中で一転して“逮捕から逃亡”という結末となりました。いつからゴーン経営は“変節”したんですかね。

志賀氏 私は2005年にCOOに就任してから13年11月に日産の現役を降りたんですが、ゴーン“変節”は14年頃からなんですね。ルノーは4年ごとにCEOを交代するのですが、18年にゴーンはマクロン仏大統領から「(会長を)またやってくれ」と言われて、ルノー・日産を「世界最大のグループ」にする野心を明確に打ち出してきた。

 それ以前からも、私が日産COOを降りる前の最後のアライアンスコンベンションでゴーンが「巨人を目指す」というスピーチをしたんです。その頃からゴーンはおかしくなった。規模を追うことがゴーンの野望となったんですね。それから三菱自動車工業さんも傘下(16年10月)に収めたんです。